「かづゑ的」

公開中  4/12~京都シネマ、4/13~第七藝術劇場、元町映画館で順次 

10歳の時から国立ハンセン病療養所・長島愛生園で暮らす、宮崎かづゑさんのドキュメンタリー映画だ。ハンセン病回復者のかづゑさんは本作の撮影時90歳。好奇心旺盛で勉強熱心。80歳を過ぎてからエッセーを出版するような人物だが、本人には気負いが無い。
かづゑさんが夫の孝行さんと暮らす介護付きの部屋は、医師や看護師、介護員が出入りし、清潔で明るく賑やかだ。体調を崩して入退院を繰り返すようになった時も、「死んだら桜の肥料にして」と、カラリと冗談を口にするようなかづゑさん。愛生園の職員とも楽しく盛り上がる。趣味の水彩画、電動カート車ででかける買い物。何でもそつなくこなすかづゑさんだが、彼女の今の暮らし方からは、想像がつかないことがたくさんある。
たとえば、1948年まで園内で使用されていた「園内通貨」。何の為に一般の通貨ではなく、これが流通していたかと言うと、島から患者が逃亡するのを防止するためだったと言う。元患者のかづゑさんが、病気の影響で身体の一部を失っていることも、映像は捉えていく。かづゑさんがハンセン病を観客にきちんと理解して欲しいと、心から望んでいるからだ。
かづゑさんは70代の頃、パソコンの使い方を覚えた。指の無い手でキーボードを打つための小さな器具は、自分で発案したという。視力も殆ど無くしている今は、ICレコーダーを使って作文を書く。熊谷博子監督は、前作「作兵衛さんと日本を掘る」でも、筑豊の炭鉱夫・山本作兵衛さんが、60代半ばを過ぎてから本格的に絵筆を握り、炭鉱の記録を残したことを描いた。監督の作品から元気をもらえるのは、こういうところがあるからだが、でも決して監督は、彼らをスーパーマンみたいに描かない。撮影中のハプニングで、ちょっとナーバスになるかづゑさんの表情も活写して、かづゑさんのことを「とにかく、やってみようとする人」だと表現する。8年間の撮影期間はコロナ禍も含んでいたが、撮影に行けない時期は、かづゑさんとズームでやりとりをして、完成にこぎつけたと言う。
熊谷監督はTVドキュメンタリーを多数手がけた後、85年に独立。2005年に三池炭鉱を描いた「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」を制作。2018年には筑豊炭田に関するドキュメンタリー「作兵衛さんと日本を掘る」を制作した。ユネスコの世界記憶遺産に登録された、山本作兵衛さんの絵や日記を追う中で、炭鉱で働いていた人々への差別構造を捉えた視点には、「かづゑ的」と共通するものがある。本作の撮影にあたってかづゑさんは〝完成は急がないでいただきたい。私に見せようなんて思わないでください〟と、劇中で監督に告げている。完成を急ぐより、多くの人にハンセン病問題をきちんと伝えて欲しい・・・そんな想いからだ。
長島愛生園の歴史は古く、開園は1930年。ハンセン病は日本では全ての患者を療養所に収容する、隔離政策がとられてきたが、その根拠となるらい予防法(1931~1996)は1996年に廃止された。1943年に特効薬が開発され、現在では治る病気となっている。
瀬戸内海にある美しい島、静かな海沿いの夫婦寮、ちょっとオーバー・アクションのかづゑさん。ふいに笑わされた後で、何かが胸に突き刺さる。TVと映画で社会のリアルを描いてきた熊谷監督が描き出したのはハンセン病問題と、飾らないかづゑさんの柔らかな人間性だった。

(2023/119分/日本)
配給 オフィス熊谷
©Office Kumagai 2023

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