噂以上の「香も高きケンタッキー」

 数年前、映画評論家の大重鎮である蓮實重彦氏が、珍しくかなり熱く論じている作品の名前を知った。それが、1925年に制作され、その当時に日本でも公開されている、「香も高きケンタッキー」であった。「駅馬車」「荒野の決闘」「静かなる男」など、名作だらけのジョン・フォード監督の初期監督作品。公開時もその後も、世間に大きく取り上げられることのなかった、数あるフォード監督作品群のなかでも、埋もれた一作であった。フォード作品好きの私としては、蓮實氏の熱き文章を読むにつれ、「見たい!」との思いが募るばかりの作品だった。DVDや配信にも入っておらず、見るすべのない作品であった。

 その熱望していた作品がなんと、東京の渋谷で2回だけ上映されると知り、これを見るためだけに、江戸へ1泊の旅をしてきた次第。これが推し活なるものなのか。驚いたことに、142席がほぼ満員。これだけでなんだか嬉しい。

 競走馬を育てるケンタッキーに生まれ、つらい運命をたどりながらも、最後には、「自分の人生は失敗ではなく、成功だった。」と、競走馬ヴァージニア・フューチャーが、馬の目線で語り続ける。1頭の競争馬とそこに関わる人たちの物語。馬の目線で語ると言っても、1925年の作品ゆえ、全くのサイレント。馬の語りも人のセリフも、字幕で挿入されてゆく。上映中の72分間は完全に無音。
しかし、サイレントなのに、馬の声やひずめの音、競馬シーンの大歓声などが、不思議と耳に残る。サイレントであることがなんのハンデでもなく、逆にその利点を生かしたが故の馬目線の物語。涙を誘うセリフと場面の連続に、見ている途中から、ただならぬ作品であることを実感した。蓮實重彦氏が興奮せずにはいられないのもよくわかった。
もうひとつ嬉しいことがあった。人間側の主人公の一人で、ヴァージニア・フューチャーを愛し続ける調教師ドノヴァンを演じているのが、ジョセフ・ファレル・マクドナルド。この作品の20年後、私の大好きな「荒野の決闘」で老いたバーテンを渋く演じている名優である。あの物静かなバーテンとはまったく違う、陽気で元気な調教師役は、見ていてはまり役であった。

 世間で名作と呼ばれていても、100年も前のサイレント作品を見ると、60分でもかなり長く感じてしまうことが往々にしてある。なのに、この無音の72分には、そのようなことは全く感じられなかった。
同伴した嫁は、「無音の映画なんて、絶対に寝てしまう!」と言っていたものの、始まって数分もすればすすり泣き状態。終わってみれば、「あかん、全編泣きっぱなしやったわ。」というほどの大感動。ハンカチは涙と鼻水でグショショ。それは私も同じ。鑑賞後、涙だらけで作品を振り返る、夫婦飲み会が近所のバーで開催された。
映画でこれほどの感動を味わうことは、10年に1本あるかないか。それが、100年も前の作品にここまでしてやられるとは。噂以上の「香も高きケンタッキー」であった。あとは、大阪で上映されることと、DVDなどメディア化されることを望むばかりの、忘れられない名作の1本だった。

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