「カミノフデ~怪獣たちがいる島」
   2024年夏公開

88歳の造形作家、村瀬継蔵が原作・初総監督をつとめる怪獣特撮映画。大阪アジアン映画祭(2024年3月1日~10日)で2日にプレミア上映され、村瀬監督とプロデューサー・特撮監督:佐藤大介が舞台挨拶を行い、次のように話した。
◇村瀬継蔵監督
1970年に香港の映画会社ショウ・ブラザースが製作する「北京原人の逆襲」に関わっていた時、プロデューサーの蔡瀾(チャイラン)さんから、「企画を書いてみないか」と言われて、昼は映画の仕事をしながら2年がかりで書きあげました。蔡瀾さん は「おもしろい、ショウ・ブラザースで撮りたい」と言ってくれたけれど、倒産(1985年)してしまった。それから50年以経ち、山あり谷ありでしたが、応援してくれる人たちのおかげでようやく完成しました。みんなから「最初(初監督)で終わりだね」と言われますが、次もやってみたいと思っています。(客席から大拍手)
円谷英二監督の元で造形をやることになったのですが、三船敏郎さん主演の「日本誕生」(1959年)年では三船さんが演じた須佐之男命(すさのおのみこと)と戦うヤマタノオロチの中にも入っていました。「北京原人の逆襲」でも原人が6メートル下に落ちるのスタントマンが嫌がったので、私がやりました。自分が怪獣スーツを作ったので、どこまで落ちたら痛いか、熱いかがわかっていましたからね。現場では造形だけでなくいろいろ経験をしました。
主題歌はDREAMS COME TRUEの「kaiju」。吉田美和さんとは同じ北海道の池田町生まれで、話す機会があった時に「なにが一緒にできたらいいね?」と言われて、主題歌を作ったもらうことになりました。この映画はふるさとへの恩返しという意味も込めて作りました。
◇佐藤大介プロデューサー
この映画は2017年にスタート、最初は村瀬監督が描いた脚本通りだったのですが、「いまの子供たちにも楽しめる作品にしたい」という村瀬監督の意向でいまの形になりました。プロットをいじっていくと原型がなくなっていき、村瀬監督の作品であることを示すために、映画の中に基になった「カミノフデ」を残す構成にしました。2020年にはクラウドファンディングやったのですがコロナ禍もあって、ようやく完成をした。途中、「村瀬さんが監督をやるなら」と斎藤工さん、佐野史郎さん、樋口真嗣監督らが出演してくださることになって、どんどんスケールが大きくなっていきました。村瀬監督が次もやるとおっしゃるなら、もちろん僕もやります!
と、このように、舞台挨拶で村瀬監督、佐藤プロデューサーは満員の観客に向け話した。そして、これからは、私の感想を。
 「ゴジラ-1.0」(2023年)が世界的にヒットしているように、日本の怪獣映画は人気がある。CGを駆使した映像はリアリティーや迫力があるが、原点になった「ゴジラ」(1954年)にはそれとは違う怪獣の恐ろしさを感じる。スールアクターの演技、当時としては精密に作られたミニチュアの建物。山の向こうや高い建物から突き出た怪獣の巨大さには、CG大作とは違う、いい意味での〈手作り感〉の魅力がある。そのため、アメリカだけではなく、アジア圏でも「ゴジラ」風の怪獣映画が数々作られてきた、北朝鮮の「プリガサリ」(1985年)と共に、〈珍作〉とされているのが香港映画「北京原人の逆襲」(1977年)。どちらかというと「キングコング」をイメージした内容で、怖い!というよりも、ほぉ~、こんな映画もあったのかと『お宝発見』をした気分で観た記憶がある。その映画に関わっていたのが村瀬監督。冒頭のコメントに出てくるそのプロデューサーの蔡瀾には、何度か会ったことがある。なかでも初対面が印象的だった。香港の大スター、アニタ・ムイと赤井英和が共演した「さらば英雄」(1991年)の岐阜県馬籠宿ロケが前年の正月早々にあり、雪をかき分けて取材に行った。撮影隊が泊まっている民宿に行くと、どてらを着た中年男性が出てきて、やさしい笑顔で「撮影はどこそこでやっている」と教えてくれた。言葉が少しなまっていて、それが地元なまりかな?と思っていたら、それが蔡瀾だった。堪能な日本語から、彼が日本の文化、トレンドなどに精通していることがわかり、撮影現場でも気さくに談笑をした。
 一方、村瀬監督が彼に勧められて、この映画の原型ともなった脚本を書いた。これも冒頭のコメントにあった「日本誕生」の印象が強かったこともあるが、私には須佐之男命とヤマタノオロチの戦いに興味があった。というのは、島根県の石見神楽(いわみかぐら)に代表されるように、「神楽」という伝統芸能が今も受け継がれているからだ。実は、私もこれに興味を抱いた1人で、数年前には大阪に「石見神楽の専用劇場」の手助けをしたこともあった。残念ながらコロナ禍で閉館したが、8つの頭のなかに人間が入って操作するのは、まさに「特撮の原点」ともいえるもので、古典の枠に閉じ込めることなく、いまにも通用するエンタテインメントになる可能性さえ感じた。
このように、「カミノフデ」は怪獣、特撮ファンだけでなく、若い人にはかえって新鮮に思え、さまざまな要素を秘めている。芸術作でも大作でもなく、いまでは少なくなってしまったプログラム・ピクチュアの懐かしい匂い、テイストも楽しめる。

〈ストーリー〉特殊美術造形家・時宮健三が亡くなった。祖父である時宮の仕事にあまり良い思い出がなかった朱莉(鈴木梨央)は、複雑な心境でファン向けのお別れ会を訪れていた。そこには特撮ファンである同級生の卓也(楢原嵩琉)の姿もあった。朱莉と卓也は、時宮が作ろうとした映画『神の筆』に出演する予定だったという穂積と名乗る男と出会う。祖父が映画を作ろうとしていたことを初めて知る朱莉。穂積は、おもむろに鞄から 『神の筆』の小道具である筆を手に「世界の破滅を防いでください」と話すと、その言葉とともに朱莉と 卓也は光に包み込まれた。気づくと2人は映画『神の筆』の世界に入り込んでいた。そして、映画に登場 しないはずの怪獣ヤマタノオロチがこの世界のすべてを破壊し尽くそうとする光景を目の当たりにする。 元の世界に戻るため、二人は時宮が作るはずだった映画『神の筆』の秘密に迫っていくのだが…。
〈村瀬継蔵プロフィール〉 1935年生まれ、北海道出身。88歳。 怪獣などの着ぐるみ造形物製作者。造形美術会社「有限会社ツエニー」会長。1958年に東宝に入社すると、同年の『大怪獣バラン』や、1963年の『マタンゴ』などの着 ぐるみ造形を助手として手がける。1965年には、大映初の怪獣映画となる『大怪獣ガメ ラ』も手がけた。テレビの『快獣ブースカ』や『キャプテンウルトラ』などを担当した後、 1967年には韓国初の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』、1969年には台湾映画『乾坤三決斗』の 造形も手がけている。折からの変身怪獣ブームに伴い、『仮面ライダー』、『超人バロム・ 1』、『ウルトラマンA』、『人造人間キカイダー』、『クレクレタコラ』などを手がけることに。現在は映画、テレビ以外にも、CM映像や劇団四季の舞台造形・美術など、幅広く活躍してい
〈スタッフ〉原作・総監督:村瀬継蔵。 プロデューサー・特撮監督:佐藤大介。 脚本:中沢健。 音楽:小鷲翔太 。エグゼクティブプロデューサー:村瀬直人。協力プロデューサー:八木欣也。アソシエイトプロデューサー:牛田直美。監督補:石井良和。アドバイザー:勝賀瀬重憲。オリジナルコンセプトデザイン:高橋章。怪獣デザイン:西川伸司。制作:ツエニー。 制作協力:ロスガトスワークス スーパービジョン。配給:ユナイテッドエンタテインメント。2024 年/日本/カラー/5.1ch/シネスコ/74 分 ⓒ2024 映画「カミノフデ」製作委員会

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