フォトジャーナリスト/長倉洋海インタビュー
「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」
2023年10月27日から京都シネマ、11月10日から神戸映画資料館で公開

フォトジャーナリストの長倉洋海(70)の長年の仕事ぶりを振り返ったフォト・ドキュメンタリー映画「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」(アルミード配給。河邑厚徳監督)が大阪・十三の第七芸術劇場に続いて京都シネマと神戸映画資料館で上映される。長倉が主人公で映画に登場し、一人称語りで通信社のカメラマンからフリーになり半世紀にわたり地球規模で撮り続けた写真家の軌跡を紹介していく。
釧路市出身で、大学で探検部にいた長倉はベトナム戦争の戦地で仕事をするカメラマンに憧れ報道カメラマンを志望し、ピューリッツァー賞を獲得する夢を見るが、在学中にベトナム戦争が終結し、半ば挫折する。それでも卒業後通信社の写真部に入るが、海外取材の機会が訪れず3年で退社し勇躍、独立し中南米エルサルバドルに向かう。当時の写真、映像では、ひげ顔で精悍な報道カメラマンの風貌。若くてたくましい。
「まずエルサルバドルで3歳の少女・へスースに出逢った。白い服を着て背に羽根が生えているように見えた。僕はピューリッツァー賞の写真のような戦場の出来事の一瞬ではなく、現場に何年も通い一人の人間を見続ける、というスタイルのカメラマンになろうと思った。少女へスールは彼女が結婚し子ども産むまで追いかけている。それでも1983年、侵攻したソ連軍(現・ロシア)抵抗する戦いが続いていたアフガニスタンで、若き司令官スマードと運命的に出逢い、約100日間イスラム戦士と共に行動し、強い信頼関係が生まれ、たくさんの写真を撮った」
写真集「マスード 愛しの大地アフガン」(宝島社)で土門拳賞を受賞。著作でも「峡谷の獅子 司令官マスードとアフガンの戦士たち」(朝日新聞)の本を出している。2001年のニューヨーク同時多発テロの2日前、マスードはイスラム過激派により暗殺される。47歳であった。そのマスードがパンシール渓谷に山の学級を作っていることが分かり、長倉は彼の教育への想いを受け継ぎNGO「アフガニスタン山の学校支援の会」を発足させた。
長い支援のその後、タリバンにより山の学校は厳しい状況になっているが、「いつかは花開く」というのがマスードの思いだった。学校で学んだ生徒たち中には大人になって教師になった人もいる。「マスードが生きていればどれだけうれしがっているだろう」。長倉はこれからもアフガニスタンと同時に世界の厳しい戦いを強いられている国々に想いを馳せている。釧路には97歳の母親が健在。「有り難い存在。これからも母親を見守りながら生きていく」と長倉はつぶやくのである。

写真は大阪・十三の第七芸術劇場で取材に応じた長倉洋海カメラマン

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