「TAR」(ター)
2023年5月12日から公開
指揮者のリディア・ターを演じたケイト・ブランシェット。アカデミー賞主演女優賞にノミネートながら賞を逸したが、最優秀賞になってもおかしくない見事な「演技」。というか、「演技」を超えて、まるで実在するヒロインのドキュメンタリーを観ているような気にさえなってくる。誰でもそうなのだが、日常を過ごすなかで、さまざまな出来事が起こり、ときには些細なことが大きな波紋を引き起こしていくもの。そんな心情を、過剰な表現ではなく、ある意味では淡々とリアルに演じることで、共感を呼び起こす。
冒頭、約20分は観客の前での対談シーン。司会者の巧みな話術で、女性が指揮者をすること、指揮者としてのスタンスなどをターが語る。これも映画の1シーンというのを忘れて、体験から発するコメントに「なるほど!」と聞き入ってしまう。そのなかで、「昔、指揮者は舞台に上がらず、頭だけ出すこともあったようですね」という司会者の質問に洒落たジョークで返すター。そういえば…。ミュージカル「オペラ座の怪人」のオープニング。ヒロインが喝采を浴びるシーンで、舞台中央に「頭1つ分」の箱のようなものがあり、それが場面転換すると指揮者の頭部分だとわかる。つまり、20世紀初めは指揮者が舞台にあがる存在ではなく、あくまでも黒子(陰の存在)だったようだ。やがて、舞台でのパフォーマンスもあり、スター指揮者が次々に登場。ターは、レナード・バーンスタインに師事していたという設定で、華がありトークも達者というのを受け継いでいる。しかも、このなんでもない問答が、ラストの大きなカギを握っている?!とも言える。
地位も名誉も手にしてすべてうまくいっていたターだが、教え子の自死によって、窮地に立たされる。しかも彼女もやはり人の子、つい絶頂のなかで「強引」な手法も行うようになり、それが逆風のなかで彼女を追いこんでいく。このあたり、サスペンスとしての味わいもある。クラシック音楽ファンには実名や実在の人物を想像させる人々も登場するのが楽しみ。一方、それほど詳しくないという人も、ある意味では勉強にもなり、そうでなくても、2時間39分のドラマで、人生の浮き沈みといったものを堪能できるだろう。
〈あらすじ〉
世界最高峰のオーケストラの一つであるドイツのベルリン・フィルで、女性として初めて首席指揮者に任命されたリディア・ター。しかし、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しむなか、かつて指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられる。
トッド・フィールド監督
映画『TAR/ター』公式サイト (gaga.ne.jp)
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