「風」

メジバウル・ラフマン・シュモン監督の長編デビュー作で、本国バングラデシュと北米、ヨーロッパでヒットした作品だ。物語の始まりはベンガル湾に面したコックスバザール。港を出た船の網に、突然、赤い服の女性がかかって引き上げられる。奇怪な現象に首をひねりながらも、船員達は色めき立つ。しかし船はもともと女人禁制で、女を船に乗せると縁起が悪いとされている。赤い服を着た女は船内の労働力になるが、不漁が続くと全部女のせいに。「女が居るから、魚が獲れない」と言う船長には誰も逆らえないが、女に恋をしてしまった技師のイバだけは、船長に立ち向かう。
コロナ禍の間に公開された映画に、「くじらびと」という作品があった。インドネシアで続く伝統的な捕鯨を撮影したドキュメンタリーで、漁師達と鯨の闘いが描かれる。本作「風」を観ていて、まず連想したのはその「くじらびと」だ。大海原に浮かぶ漁船。生きるために獲物を探して、眼を爛々と光らせる漁師達。「風」の方は、そんな人間と自然の闘いに、自然を超えた存在=神秘的な女性が加わって、漁師達の世界に入り込んでくる。「くじらびと」の背景には家父長主義のコミュニティがあったが、「風」の漁師達も、船の上では船長の命令が絶対のピラミッド型で、誰も逆らえない。女は、そんな漁師達の領域を「侵犯」するのだ。
赤い服の女の目的は一体何なのか—。彼女の出現は、漁師という男中心の組織に対して、厳しくもどこかユーモラスな風刺となって、ある種のメッセージと余情を引き出す。漁船を舞台に繰り広げられるドラマは、ミニマムである一方で、混沌とした現代の世界を彷彿とさせている。特に真夜中の海。暗い甲板。船員達が疑心暗鬼になっていくシーンは、コロナ禍の人間の心理が重なっているよう。メジバウル・ラフマン・シュモン監督の感性にハッとさせらる作品である。

第18回大阪アジアン映画祭は3/19まで開催中。

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