「生きる LIVING」
2023年3月31日公開

アカデミー主演男優賞(ビル・ナイ)ノミネート
脚色賞(カズオ・イシグロ)ノミネート

黒澤明監督の名作「生きる」(1952年)を、1953年のロンドンを舞台に置き換えた作品。黒澤作品の翻案といえば、「荒野の用心棒」(1964年、「用心棒」)、「荒野の七人」(1960年、「七人の侍」)、「暴行」(1964年、「羅生門」)などがあるが、そのなかでもこれは秀逸だと思う。
実は、私が黒澤版「生きる」を観たのは40歳代。それまでも主人公が癌で余命いくばくもないという物語であるのはもちろん知っていたが、題材が題材けに見終わって気持ちが落ち込むのでは…と勝手に想像していたからだ。しかし、いざ観てみると、「死」と直面する姿を描くことで、まさに「生きる」ということを問いかけていて、むしろ明るい気分にさえさせてくれる名作だった。
「生きる LIVING」もそうだ。ラストではなく終盤に葬儀のシーンがあり、そこから主人公の最期の行動を振り返るという構成などは同じだが、原型をただトレースするのではなく、当時のイギリス社会を背景にしていても無理なく、しかも、展開がわかっていながらも新たな作品になっている。そこで、「2つのモノ」の焦点を当ててみたい。
1)「帽子」=主人公がかぶっている帽子の変化が、彼の「生き方の変化」を象徴している。冒頭、駅で列車を待つ大勢の男たちが映し出され、彼らの頭にはそろってイギリスが発祥の山高帽子が乗っている。ビル・ナイが演じるウィリアムズも同様で、それは役所の市民課で面倒なことは〝後回し〟にして勤勉に黙々と〝お役所仕事〟をする様子を表している。それが、「余命半年」と宣告されたことで一変。仕事を放棄して飲み歩くなかで、山高帽子を奪われ、それよりラフでソフトな印象の中折れ帽子を着けることになる。その後、部下の若い女性・マーガレットが、しばらく役所を休んでいた彼を街中で見かけることになる。もし、そこで彼が山高帽子だったら、役所でのクールな彼を思い出してマーガレットは声を掛けなかっただろう。この「出会い」がウィリアムズに残された命を生きる意味を与える重要な分岐点だけに、帽子がその大きな役割をはたしている・
2)「歌」=黒澤版では、主役の渡辺勘治に扮した志村喬が「いのち短し、恋せよ乙女~」と謳う「ゴンドラの唄」が知られている。イギリス版では何を歌うのか?というのも大きな興味だったが、ウィリアムズが口ずさむのは、「ナナカマド」(「The Rowan Tree」)というスコットランドの伝統的な歌。ちなみにナナカマドというのはバラ科の落葉樹で、この木を薪にすると7回はご飯を炊ける言われるほど燃え尽きず、その強さは幹に神が宿っているからだと言われているそう。スコットランドではこの歌が語り継がれていて、これを歌うことで幼い頃からの思い出が頭に駆け巡るのだろう。この映画も黒澤版も、劇中で主人公が同じ曲を歌う場面が2度ある。例のブランコのシーンがよく知られているが、私はそれよりも宣告を受けた後、自暴自棄になったときに口ずさむ場面がより印象的。喧噪のなかでつぶやくように歌い始めると、切々とした思いが伝わって静けさに移っていく光景は、ブランコなどのシーンが取り上げられがちななか、名シーンである。

映画『生きる-LIVING』公式サイト (ikiru-living-movie.jp)

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