「失われた時の中で Long Time Passing」
2022年9月3日から第七藝術劇場
9月13日から京都シネマ

「花はどこへいった」(2007)「沈黙の春を生きて」(11)の坂田雅子監督が、ベトナム戦争と枯れ葉剤被害の今、を伝えるドキュメンタリーを撮った。映画前半では、経済発展を遂げて近代化された都市部で、順調に就業し自活している若者たちの活躍。後半は、発展から取り残された被害者たちへと視点を移している。
そもそも枯れ葉剤に関する映画を、坂田監督が撮ることになったきっかけは、ベトナム帰還兵で写真家である夫、グレッグ・デイビスの死だった。55歳の若さで亡くなった夫の死は、枯葉剤の影響によるものではなかったのか。強い疑念が坂田監督をベトナムへと向かわせた。以後、ドキュメンタリストとしての出発点「花はどこへいった」から15年間。坂田監督は折に触れてベトナムを訪れ、自宅で暮らす被害者と家族や、重度の障害を負った子供たちが暮らす施設などを取材し続けた。
未だに枯葉剤の影響が残っているコンツーム地方の、枯葉剤被害者センターを訪れるシーンでは、「花はどこへいった」の時に取材したフォン先生に同行。フォン先生がカメラに向かって言う言葉「助けたいが自分も年を取った。母親たちは苦しんでいる。アメリカ政府と化学会社が責任をとらねばならない・・・」は胸に迫る。
劇中ではグレッグ・デイビスの書き残したエッセイも朗読される。“戦争のアクションは誰にだって撮れる。本当に難しいのは戦争に至るまでと、その後の人々の生活を捉えることだ。その中に本当に意味のあることがあるんだ”。――坂田監督作品の背骨にもなっているこの一文を聞いて私は、ルイ・マル監督の自伝的ドラマ「さよなら子供たち」を思い出した。ルイ・マル監督が、ユダヤ人のクラスメイトの死に、戦後ずっと罪悪感を持っていたことが分かる名作だ。ありとあらゆる形を取りながら、戦争はこれほど長く人を傷つける。
坂田監督は、核を題材にしたドキュメンタリー「わたしの、終わらない旅」(14)とドイツの自然エネルギーを取材した「モルゲン、明日」(18)を撮り、「花はどこへいった」「沈黙の春を生きて」と今回の「失われた時の中で Long Time Passing」の3作で、枯葉剤被害をテーマにしている。3部作で完結したかのように見えるが、今回は重度障害児の施設に閉鎖の危機が迫っていることを突き止めているので、これが枯葉剤被害を描くシリーズの最後にはならない、と私は見ている。それに、日本に出来ることも、まだまだありそうだ。
ロシアによるウクライナ侵攻が長期化する中、この戦争の後の悪影響は?と懸念している人は少なくないだろう。その意味で本作は、今観るべき最先端のテーマを描いた1本だと思う。(日本/60分)
©Joel Sackett

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