「TANG タング」
2022年8月11日公開

ある日、起きてみると庭に古びたロボットがいた…。という「ロボット・イン・ザ・ガーデン」(デボラ・インストール著)が原作。世界中から「ドラマ化」したいという要望があり、日本では2020年10月にオリジナルミュージカルとして初演され、私も京都劇場やオンラインで観ている。
ということで、劇団四季が舞台化するというのを知った時に読んだ。「人間」と「それ以外のモノ」との出会いというドラマは、主に動物との愛情あふれる触れ合いを描いたものがほとんどで、ひとことで言うなら「可愛い!」という感情にまず訴えて、それから紆余曲折(一時的な別れなど)があって、さらに感動を呼ぶ…というものが1つの定番。そういうイメージで原作を読み始めたのだが、もともと「感情が表面に出ない」ロボットだけに、人間がだんだんと能動的に関わっていくなかで変わっていき、ロボットもそれを受けて感情豊かになっていくプロセスを緻密に描いているという印象を受けた。さらに、「可愛いだけではない?!」という重大な秘密、社会的なテーマも提起する〝硬派〟な要素もあり、なるほど、これはいろいろな角度でドラマ化できるなと感じた。劇団四季の同作については、すでにこのブログにアップしているので、参考に。
映画「TANG」は原作をアレンジして日本に設定しているだけに、自分たちのドラマという身近な感じがした。とはいえ、近未来、しかも「庭がある家」にはちょっと距離があるのだが、ロボットが日常的に存在する世の中になり、そのうえで〝迷子〟になったロボットが庭にいた!というのが物語の基本的な軸なので、それはスルー。二宮和也が演じる主人公は目的が見つからない、いまの時代にもよくいる人物。最初はTANGに仕方なくといった感じで関わっていたのが、だんだんと深みに入り、社会正義と共にアインデンティティーを取り戻していく…。娯楽映画のテイストで描かれているだけに、そんな変貌が、押しつけ的にではなく伝わってくる。
TANGのサビが浮かぶ古ぼけた、さえない風貌がいい。「可愛さ」を前面に出すのではなく、仰向けになったら、なかなか元に戻れないといった鈍くさい動きからも親しみが伝わってくる。それを象徴しているのが、「目」の演技? 片方が「12の灯り」で構成されているが、故障でいくつか消灯していて、その表情がどこかもの哀しく見えてくる。そいれだけに、ラスト近くで、すべてが点灯した後の目表情は生き生きしていて、なかなかの演技だった。「ジュラシック・パーク」などもそうだが、CGの発達によって、ギミックではなくロボットや恐竜、お化けなどが存在していても違和感のないあモノになってきた。
原作の「イン ザ ガーデン」を皮切りに、次々に続編が発表されているだけに、大河ドラマ(シリーズ化)も夢ではないだろう。
写真は©2015 DI ©2022映画「TANG」製作委員会
映画『TANG タング』オフィシャルサイト (warnerbros.co.jp)
のブログにもアップしている)

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