ドキュメンタリー映画「シネマスコーレを解剖する。コロナなんかぶっ飛ばせ」
木全純治支配人に聞く
2022年7月16日からシネ・ヌーヴォで公開

ドキュメンタリー映画「シネマスコーレを解剖する。コロナなんかぶっ飛ばせ」(菅原竜太監督。メ~テレ配給)が7月16日から大阪のシネ・ヌーヴォで公開される。コロナ禍で苦闘する名古屋のミニシアターの現状を追いかけた作品。開館から39年間、支配人(現・社長も)を続ける木全純治さん(73)にサバイバル戦略についていろいろ聞いた。
木全さんは同志社大学時代に当時京都の名画座「京一会館」に通う映画ファンの一人で卒業後、東京の名画座文芸座に就職。都合で名古屋に帰省した時、若松孝二監督から電話があり「名古屋にミニシアターを作るので支配人を」という話がきた。「僕は今村昌平監督のファンだったが、反権力で多様性のある作品を作っていた若松映画も好きだったのでお引き受けし、1983年2月にオープンした」
若松作品の大抵は硬派でも体裁はピンク映画。開館最初は「犯された白衣」など若松3本立てから始め、名画路線を組み合わせたが赤字が続き、新東宝のピンク映画をやって盛り返し、林海象監督の自主映画『夢みるように眠りたい』を上映し大成功。「それからミニシアター独自の独立系番組の組み合わせで今日まで続いている。37年目の2020年4月、コロナで初めて映画館が休館になった。この2年コロナ禍でどう闘ったか。その記録がこの映画です」
映画館の換気実験映像を発案したり、入場者に名前と連絡先を書かせる案に「あり得ない」と反対したり、全国のミニシアターと連携しながら運動した。映写機の故障で600万円の特別出費や坪井篤史副支配人退社騒動もあった。「僕はその時思った。若松さんと付き合い、いろんな事でもめて最後に『社長を辞めてください』と言った。あの熱量の高い若松さんを説き伏せるのは大変だった。それに比べればと、ぼくは今回のコロナ禍の休館時はリフォームの時間で、映画館の掃除にいそしんだ」
若松監督はその後、「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」「キャタピラー」など世界に認められる名作を発表。「おまえのところは500円で見せてやってくれ」なんて連絡があったという。それは「映画ファンを大事にする」という若松イズムで「受け継ぎたい」と木全さん。若松監督は12年10月交通事故で急逝。76歳だった。シネマスコーレの館名は「映画学校」の意味があり、木全さんは今、「映画塾」を開き、将来を展望している。
プロデューサーの村瀬史憲さん(メ~テレ)は「反骨の若松監督と木全さんが始めた映画館。コロナに負けないパワーを見てほしい」と訴えている。映画は木全さんのほか坪井副支配人、奥田瑛二、入江悠、足立正生、井浦新などが出演。語り・韓英恵。

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