劇団四季「バケモノの子」
  2023年12月10日~2024年5月25日
         大阪四季劇場

 劇団四季のミュージカル路線と言えば、「キャッツ」「オペラ座の怪人」などのアンドリュー・ロイド・ウェバー作曲のよる作品、「美女と野獣」「ライオンキング」「アナと雪の女王」などのディズニー作品など海外ミュージカル路線。そして、児童向けから始まり、ロングランもされた「夢から醒めた夢」「ユタと不思議な仲間たち」などオリジナルもの、と大きく分けられる。そこに、日本のアニメ(製作・スタジオ地図、監督・細田守)の「バケモノの子」が新しい流れとして加わった。12月10日の大阪公演開幕を前に、9日のプレビュー公演を観劇した。
 細田監督のアニメーション映画は「時をかける少女」などのようにアニメならではの時空の飛躍などを描きながら、親子、友情といった〈アナログ〉的な微妙な触れ合いもこまやかに表現する独特の作風。四季が「これをミュージカル化する」と聞いた時には、期待と不安が交錯したのも事実だ。ディズニーのミュージカルのように、アニメ映画を2つの方法がある。1つは「美女と野獣」「リトル・マーメンド」のように、できるだけ忠実に〝再現〟すること。もう1つは「ライオンキング」のように演出家(ジュリー・テイモア)らのイマジネーションを基に大胆にアレンジすること。前者は、ある意味では「子供向き」と思われがちで、観客層が広がらない危険性。後者には、その発想についていけない人が続出する可能性も。四季版「バケモノの子」は基本的には前者を尊重しながら、随所に舞台版ならではの、空想を広げる表現を駆使している。四季の70年に及ぶ歴史、メソッドが集約されているのを実感した。
 まずは、バケモノたちのメイク、衣裳。1つ間違えば、「奇異」「違和感」を持たれるところだが、「キャッツ」「美女と野獣」など〈人間にあらざる者たち〉の造形を手掛けてきた経験があるだけに無理がなく、ドラマが進むうちに〈ヒューマン〉な味わいさえ伝わってくる。また、渋谷を舞台にしたダイナミックなアクション・シーンには、巨大な〈アレ〉が登場するのだが、映像と共に、これも「ライオンキング」でも駆使した人形遣いが取り入れられている。
 そして、なにより大切なドラマの構成。冒頭にバケモノの世界が現れ、群舞と合唱などでミュージカルの醍醐味を披露。四季メソッドによる俳優たちのセリフも明晰だ。さらに、第2幕の冒頭は、「オペラ座の怪人」のマスカレード(仮面舞踏会)もほうふつする華やかなハロウィーンでスタート。近作では「生きる」など数々のミュージカル脚本を手掛けている高橋知迦江だけに、ツボを押さえている。さらに、アニメでは登場しない九太の母親を登場させて、母子、そして離別していた父との再会といった人間ドラマも織り込んでいく。もちろん、熊徹との師弟関係も。テーマは「胸の中にある剣」で、それを意味する言葉がなんども出てくる。
 東宝はスタジオ・ジブリの「千と千尋の神隠し」を舞台ミュージカル化するなど、世界に名高いジャパニーズ・アニメーションは舞台化の宝庫でもあるが、まずは、この作品をさらに練り上げていって欲しい。
〈ストーリー〉バケモノの世界・渋天街では、バケモノたちを束ねてきた宗師が、 今季限りで神に転生することを宣言。数年後に試合で、次の宗師を決めることとなった。 候補者は、乱暴者だが心に強い信念をもつ熊徹と、強さも品格もあわせ持つ猪王山。熊徹は、宗師から弟子を取ることを課せられる。その頃、人間の世界では、9歳の蓮が両親の離婚で父親と別れ、母と死別、弟子を探していた熊徹と出逢い、渋天街に迷い込む。蓮は「九太」 とい名付けられ修行の日々を送る。一方、 猪王山には一郎彦という息子がいて、九太らと共に青年へと成長していく。 17歳になった九太が偶然に人間界に戻ったとき、高校生の少女・楓と出会って新しい世界を知ることになる…。
〈12月9日・主なキャスト〉熊徹(韓盛治)、猪王山(芝清道)、多々良(川島創)、二郎丸(青年)(瀬下喬弘)、楓(柴本優澄美)、蓮/九太(少年)(茨木耀太)、二郎丸(少年)(仁科紘京)、蓮/九太(青年)(大鹿礼生)、一郎彦(青年)(菊池俊)、百秋坊(安東翼)、宗師(増山 美保)、蓮の母(清水智紗子)、一郎彦(少年)(上田知嗣)ほか

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