石井裕也監督の異色問題作「月」
2023年10月13日から全国ロードショー

埼玉県出身で大阪芸術大学を卒業し映画監督になった石井裕也(40)の新作「月」(スターサンズ配給)が10月13日から公開される。友人だった故大森一樹監督が大阪芸大の映像学部学科長をやっていたころの教え子ということもあって注目していたが、商業映画デビュー作「川の底からこんにちは」(2010年)を見て、面白い才能が出てきたと思った。あれから「舟を編む」「ぼくたちの家族」「夜空はいつも最高密度の青色だ」「町田くんの世界」「茜色に焼かれる」「アジアの天使」など目を見張る活躍ぶりで、現在の日本映画界の先頭を走る一人であるのがうれしい。
「茜色に焼かれる」(21年)は、シングルマザーの女性がコロナ禍で苦しい生活を余儀なくされることを描いた作品。夫が高齢者の運転する車に跳ねられて死亡し幼い息子だけでなく養護施設にいる義父のことなど負担が大きい。尾野真千子の好演で、世の不条理と闘う女性の強さと、その裏にある悲しさが痛切に伝わってきた。コロナ禍を背景にした女性映画として高橋伴明監督の「夜明けまでバス停で」(22年)と並ぶ傑作といえよう。
「茜色に焼かれる」は「かぞくのくに」をはじめ「あゝ、荒野前編・後編」「新聞記者」「宮本から君へ」「やくざと家族 The Family」など社会派問題作を手がけたスターサンズの河村光庸プロデューサーの仕事で、同プロデューサーから石井監督に新たに依頼されたのが芥川賞作家の辺見庸原作「月」(KADOKAWA刊)の映画化だ。河村氏は22年に急逝するが、受け継いだ長井龍プロデューサーと共に石井監督は「これはやらなければならない仕事」と、生前の約束を守り、これを無事完成させた。
「月」は、辺見氏が17年に前年神奈川県相模原市で起きた障害者施設殺傷事件に想を得て書いた小説が原作で石井監督が脚本を書き映画化した異色作。映画は小説家の堂島洋子(宮沢りえ)と人形アニメーション作家の夫・昌平(オダギリジョー)が主人公で、2人は職業的に行き詰まりながらも、それなりに小さな部屋で平和に暮らしている。洋子がある障害者施設に務め始め、森の中にある同施設に通うようになり、様々な出来事が起こり始める。洋子は同じ施設で働く若者、陽子(二階堂ふみ)とさとくん(磯村勇斗)と親しくなり、家に招いて食事する時間を持ったりする。
洋子はある日、妊娠を知り高齢出産するか悩むが、施設の一室で、身体と手足が動かせず、ただベッドに横たわらせている「きーちゃん」の存在を知る。年齢が近いことで関心を持ちながらも、それは人間の「塊」とでもいうべきで、それが意思を持ち、何を考えているか想像できない。洋子は施設スタッフが入居者を虐待する出来事があるのを知り、森の中の施設が不気味な様相に包まれていく。小説のファンという陽子が洋子の作品を微妙に批判し、やがてさとくんが障害者は世の中にとって排除するべきかもしれないと言い始める。
物語は洋子と昌平に、男と女の生き方と、夫婦生活のありようを模索する、ある種現代病からの脱出を課している。いつも辛そうな顔をしている洋子だが、昌平の時折の笑顔がそれを救っている。だが、そこに存在するもう一つの「命」のありようの現実に、2人は恐れ慄き、たじろぐしかない。施設長(モロ師岡)に入室を禁止された部屋に入ったさとくんが見た光景は想像を絶する。また、洋子が気にかける何も話さない「きーちゃん」の本当の姿はどうなのか。ダルトン・トランボの「ジョニーは戦場に行った」(1971年)の彼を思い出させる。人間の「命」は限りなく神に近いということだろう。
石井監督の表現はある種過激だが、宮沢りえとオダギリジョーの夫婦の愛情物語でそれを和らげ、人間の「命」の 根源に迫っている。2人が人間らしく、また二階堂ふみと磯村勇斗がとても怖い役に挑戦し対照的。河村光庸プロデューサーにあらためて弔意と敬意を表しておきたい。石井監督の次回作「愛にイナズマ」(10月27日公開予定)はいつもの家族ドラマになっているようだ。

写真は「月」の宮沢りえ(C)2023「月」製作委員会

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