坂東玉三郎特別公演
片岡愛之助出演

「怪談 牡丹燈籠」
2023年8月3日~27日
京都・南座

「怪談 牡丹燈籠」は「世話物」「人情噺」でもあった。〝ひゅ~どろどろ~〟という下座音楽とともに火の玉が出没。さらに、〝からん。ころん〟下駄の音を鳴らして、ぼんやり灯る牡丹燈籠を手にした幽霊が現れる。こんな場面が強烈なだけに、怖い!というイメージが強いこの演目。関西の舞台は26年ぶり(中村勘三郎=当時・勘九郎)と坂東三津五郎=当時・八十助)で、自身の観劇歴では、その公演に加えて1986年の文学座公演(杉村春子、北村和夫)ぐらいで、そうした印象を持っていた…。
原作の三遊亭円朝は中国の怪奇小説を軸に、それを取り巻く人間模様を膨らませたもので、前述した怪談「お露の亡霊に取り憑かれた新三郎」の悲劇のエピソードは、前半部分に登場し、そこから物語が発展するという構成。さらにこれを、1974年に大西信行が文学座のために脚本を執筆。歌舞伎「怪異談牡丹燈籠」(作・河竹新七)から、旗本飯島平左衛門と実子・孝助のくだりなどを割愛し、さらに、「世話物」「人情噺」の要素が色濃くなった。
今回の作品は、大西の脚本を基に玉三郎が演出(演出・補綴・今井豊茂)を担当。というわけで、新三郎、お露らを描く歌舞伎における怪談の様式美を味わうのと同時に、玉三郎が扮するお峰、初役で挑んだ愛之助の伴蔵における金銭欲、出世欲、夫婦愛や嫉妬といった市井の人々の感性が、おかしさと怖さで描かれている。
思わぬことで幽霊にあることを依頼された伴蔵が家に帰り、そのことを話す場面。半分だけ設けた蚊帳のなかで、お峰に相談すると、100両を条件に、それを引き受ける。声を張るわけではない2人の掛け合いは、さりげなくごく普通の会話で、いまでもよくある光景。そんな日常とその後に展開する非日常、その兼ね合いがおもしろい。後半はその1年後、100両を手にした2人が荒物屋で繫盛している様子が描かれる。どちらかというと亭主をリードしていたお峰は女将さんにおさまっている。長屋の近くに暮らしていた、お六(中村歌女之丞)の身の上を心配する人情はかわらない。一方の伴蔵は金と地位を手に入れたことに浮かれて、料理屋の酌婦に入れあげ、それをお峰に問い詰められる。最初は、お峰に平謝りだった伴蔵が逆キレして…。という展開。ここも日常から非日常への「無理のない」移行と思える。
歌舞伎の三大怪談といえば、「東海道四谷怪談」「皿屋敷」(「番町皿屋敷)「播州皿屋敷」」と言われるが、陰惨な出来事が起こる前者(3演目)に比べて、すくなくとも「牡丹燈籠」のこのバージョンは悪者が登場しない。そのぶん、怖さも様式的で美しくもあり、いっそう普通の人々に潜む怖さを訴えかけてきた。はたして、円朝の落語はどんなものだったか? それを語り継いでいる古今亭志ん生や春風亭小朝のCDも聴いてみた。歌舞伎から落語へ、落語から歌舞伎へ。興味、好奇心がつきない。

〈あらすじ〉旗本の娘・お露は、ひと目惚れをした浪人・萩原新三郎(喜多村緑郎)に恋い焦がれてこの世を去るが、後を追って自害した乳母のお米(上村吉弥)とともに幽霊になり、牡丹が描かれた燈籠を手にして、新三郎を訪ねようとする。下男の伴蔵(片岡愛之助)はお露から、新三郎と会えるように懇願される。女房のお峰(坂東玉三郎)は、お峰は100両の大金をもらうことを条件に、この願いを引き受けるよう伴蔵を説得する。
それから1年後。伴蔵とお峰は、もらった100両を元手に荒物屋を営み。羽振りの良い生活をしていた。伴蔵は料理屋の酌婦・お国(河合雪之丞)に入れあげて通いつめる。お峰から厳しく問い詰められ、口論をする2人のもとに牡丹燈籠が飛んできた…。
(C)松竹

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