誰にでも潜む怪物

2023年6月2日公開

1つの出来事や事件にも、広い意味での「被害者」と「加害者」という立場によって捉え方が違う。そうしたことを提示した代表的な作品には、芥川龍之介の「藪の中」があり、それを黒澤明監督が映画化した「羅生門」があげられる。是枝裕和が監督し、坂本龍一が音楽を担当、坂元裕二がカンヌ映画祭で脚本賞を受賞したこの映画に、それらと共通する視点を感じた。
タイトルにある「怪物」とは誰?どんな心理状態なのか? 最後まで、そんな課題を突き付けられる。これも映画の醍醐味だ。「自分の子供がイジメにあっている」と小学校に直談判に行く早織(安藤サクラ)。実際に子供の湊(黒川想矢)にはそれを暗示させるケガなどがあり、対応する校長(田中裕子)は無表情に形式的な謝罪をし、担任教師の保利(永山瑛太)が「殴った」というのを「手と鼻との接触があった」「真摯に対応する」など笑えない表現をする。は「母子家庭あるあるなんですよね」と言い放つ。ここでは、いわゆる「モンスター・ペアレント」というテーマ。自分なりに、「モンスター」とはこのことか…と納得しそうになったが、さすが、映画はそんなにシンプルで皮相的なものではない。
学校では依里(柊木陽太)という表向きには明るく振る舞ってはいるが、父から「男らしさ」などを強いられる同級生がいる。イジメっ子たちの依里に対する仕打ちに怒りを覚える湊だが、自分に向けられるのを恐れて、「友達」と公言するのを躊躇するのだった。こうした描写はドラマとはわかっているものの観るのが辛いほど。しかし、これは誇張してはいない現実なのだろう。
物語が進展していくうちに、反目していた早織と保利は、物事の深層がわかりはじめ、激しい風雨のなかで一緒に湊を探すような、関係になっていく。こうしたなかで、冒頭にあげたように、1つの出来事が最初の印象から、がらりと変わっている自分を感じた。はたして、「怪物」とは…。日常生活のなか、自分も含めて心のうちにある「怪物」を気づかせてくれる。
🄫2023「怪物」製作委員会

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