「フェイブルマンズ」

公開日2023年3月3日

スティーヴン・スピルバーグの自伝的作品。両親との関係性や、ユダヤ人であることを含め、思春期の家庭環境がこの人を作ったことがわかる作品である。映画冒頭、両親に映画館に連れて行かれ、「地上最大のショウ」を観ている少年。それが後に映画監督になるサミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル)。少年時代のスティーヴン・スピルバーグのことだ。映画館に行く時は嫌々連れて行かれるが、大人が熱中する映画というメディアに、彼は興味を持ち始める。高価なおもちゃの列車を買ってもらい、科学者の父(ポール・ダノ)と一緒に遊ぶ幸せな子供時代。サミーの芸術的な才能を伸ばしてやろうとする、ピアニストの母(ミシェル・ウィリアムズ)。サミーは母親から8ミリカメラをプレゼントされ、家族の記録や短い劇映画を撮るようになる。
ピアニストの母、科学者の父――恵まれた家庭のように見えるが、実は波風が立っている。夫婦として両親が幸せではなかったことを、分析的に描いているところは秀逸だ。今のスピルバーグは十分に大人で成熟した視点を持っている。だからこそ、父と母それぞれの人格を尊厳ある形で描くことが出来たのだろう。
「フェイブルマンズ」を観ると、とにかく子供の頃のスピルバーグが、真剣に遊ぶ大人に囲まれていたことがよくわかる。遊び出すと熱中する一家で、両親が真剣に子供達と遊んでいる。「激突!」「ジョーズ」「E.T.」など、彼の初期監督作品には特に、大人が真剣に遊んでいるようなハチャメチャな発想があるから、なるほどと思う。
スピルバーグが製作総指揮を務めた映画に「グレムリン」があるが、1985年当時、既に顔が売れていたスピルバーグが、劇中にカメオ出演していた。その1カ所は、グレムリン(小悪魔)が、クリスマス・ツリーの中に隠れていて、主人公ビリーの母親に襲いかかる緊迫のシーンだ。大きなクリスマス・ツリーが母親に向かって倒れかかってくる瞬間、ツリーの後ろに、スピルバーグが立っている。一瞬なのでよく見ていないと見逃してしまう。当時の映画館は、時間が許す限り同じ映画を繰り返し観ることが出来た。私と友達はツリーの陰のスピルバーグを見つけて、もう1度最初から「グレムリン」を観て、スピルバーグを見て笑った。今、ソフト化された「グレムリン」を観ても、そのシーンは割愛されている。フィルムの時代らしい遊びだったのだ。この時、映画は大人が本気で遊ぶ分野なのだと魅了された。
「フェイブルマン」に話を戻すと、本作は彼がユダヤ系アメリカ人だということも描いている。ユダヤ系ゆえに転校先でいじめられたのは、聖書の中のユダヤ人のイメージのせい。作品中、最も強いメッセージ性を持つのはこのエピソードだ。「シンドラーのリスト」が制作されたのも当然だろう。しかし、過去を描くことは、過去を現在の中に生き返らせることでもある。ユダヤ系として差別されたスピルバーグの過去。心の傷。それ自体あってはならないことだが、現在私たちが生きている社会の中にも新しい差別の芽はいろいろな形で育っている。いじめの被害を描いた場面を観ていると、スピルバーグ監督は現在のイスラエルとパレスチナの問題に対してどう考えているのだろう?という疑問が浮かぶ。私を映画の明るい面に誘い込んだ巨匠。いつかスティーヴン・スピルバーグに直接聞いてみたいテーマが1つ出来た。

オフィシャルサイト
https://fabelmans-film.jp/

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