「M・バタフライ」
2022年6月24日~7月10日 新国立劇場小劇場
7月13日~15日   梅田芸術劇場ドラマシティ
23日、24日   福岡・キャナルシティ劇場
30日、31日   ウインクあいち大ホール
同じ台本でも、演出が変わるとこんなに違うものになるのだ、と改めて感じた作品だった。基になったのは、中国を舞台にした国際スパイ事件。1964年に中国に赴任したフランス人外交官が、現地の〝美しい女性〟と恋におち、国際的な機密情報を漏洩したいう実話。みんなの興味をひいたのは、それが女性はなく実は男性で、外交官はそれを知らずに20年以上も一緒に暮らしていたということだった。
これに興味を抱いた脚本家のディヴィッド・ヘンリー・ウォンが戯曲を書き舞台化、1998年にはトニー賞にも輝いている。取り上げ方次第では、珍エピソードとして、「再現ドラマ」などでおもしろおかしく描かれるところだろうが、そうではなく、この演劇がエンターテインメント、芸術的な作品にまで昇華させたのは、オペラ「蝶々夫人」をダブらせ、劇中に登場させたこと。オペラの蝶々さんは良くも悪くも「男性に尽くし、待ち続ける」女性。外交官もまた、まだまだ異国情緒を感じさせるアジア人に、そんな幻想を抱いていたのかもしれない。
この物語は、アンソニー・ホプキンスとジョン・ローンで同名映画(1993年、デビッド・クローネンバーグ監督)となり、日本では劇団四季が1989年に日下武史、市村正親で初演、翌年にも再演された。
冒頭に書いたのは、僕にとってこの四季バージョンがいまも強烈に印象に残っているからだ。浅利慶太による演出は、〝ケレン味〟を抑えた劇団特有のストレートプレイとして成立し、外交官を演じる日下の独白、観客に向かっての語りかけも、彼ならではの感情を抑えたものだった。ありえない話なのだが、あくまでも女性と信じ続けた男性が、意外にも?インテリジェンスあふれる存在というのが、世俗的な興味だけでない要素を際立たせ、観客も「東洋と西洋」「男性と女性」との当時の関係性を感じとろうとする、見ごたえのある演劇となっていた。
さて、今回は内野聖陽と岡本圭人が演じ、演出は劇団チョコレートケーキの日澤雄介が手掛けている。私もいつか観いるが、劇団名は〝甘い〟けれど、大正天皇、あさま山荘事件、大逆事件などを題材に〝辛口〟ハードな作品を手掛けてきている劇団と日澤。「M.バタフライ」においても、同じ脚本なのに、まさに「新作」を観た気分だった。例えば、内野が演じる外交官が、多くの部分で独白や観客に語りかえる構成も同じなのだが、ときにはなりふりかまわず本性をさらけだしてこちらに訴えかけてくる。そこには、この奇怪な出来事を自分でも理解し、なんとか納得させようとする葛藤が前面に出ている。3時間に及ぶ、そのパワーには圧倒され、観客も当事者にさえなった気分になってくる。
一方、岡本は美しさは言うまでもないが、そこに「愛」というよりも国家からの任務を遂行する冷徹さも感じさせる。ただし、大詰めで外交官の全裸を見せる場面には、愛がさめてしまった相手に怒りをぶつけるリアルな人間の性(さが)をまさに全身で見せてくれた。
https://www.umegei.com/m-butterfly

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