「スープとイデオロギー」
ヤン ヨンヒ監督に聞く
6月11日から第七芸術劇場、シネマート心斎橋ほかで公開

ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」(2005年)、安藤サクラ主演の劇映画「かぞくのくに」(12年)などで知られるヤン ヨンヒ監督(57)が、家族シリーズ最終章「スープとイデオロギー」(東風配給)を完成させた。北朝鮮にいる3人の息子に生活支援のため45年間仕送りを続けたオモニ(母親)の「最後の思い」を記録したドキュメンタリー。タブーとされた「済州4・3事件」がその背景に隠れている。
大阪市生野区生まれのヨンヒ監督は在日コリアン家族で育った。アボジ(父親)が3人の兄を「帰国事業」で北朝鮮に送り、母親は生活支援のため45年間仕送りを続けた。「父は09年に亡くなったが、『結婚相手に日本人はだめ』と常々言い続け、母は借金してまで仕送りするので『辞めて』と何度も制したが聞かなかった。そんな母が初めて韓国でタブー視されている『済州4・3事件』について話し始めた」
1948年に今は観光地として知られる韓国済州島で同事件は起きた。朝鮮半島の南側が北側の多くの人たちに機関銃を向け虐殺。「たくさんのオモニが殺された。その地獄の中に自分もいた」という。「その話を初めて聞いたのは『かぞくのくに』の脚本を書いていた11年ころだった。それは衝撃で、両親のことが少しずつ理解できるようになった」
「今回の映画は母を済州島に連れて行くことと、一緒に私の夫を同行させることにポイントを置いた。夫は父が嫌がっていた日本人だが、16年に母は家に迎えてくれて、鶏肉のスープをごちそうしてくれた。やがて現地の同事件70周年追悼式に行く許可が出て、母は18歳のとき恐怖体験した場所に赴き、感慨深そうに懐かしい風景を見る。父と結婚前ここに婚約者がいたことを明かし、その名前を慰霊塔で見つけた」
「母は渡韓前、大動脈瘤治療後アルッハイマーを患っていた。済州島で当時のことを思い出すことはあっても、激しく動揺することはなかった。それで私は逆に少し救われた気がした。母は日本生まれだが両親は済州島の人だから故郷であり、4・3事件で裏切られたという気持ちだったと思う。それが彼女の怒りの根っこにあった。ようやく娘はそれを実感した」
ヨンヒ監督の夫・荒井カオルは映画のエグジェクティブ・プロデューサーとして参加し出演もして作品を支えている。母親は今年1月に逝去した。ヨンヒ監督は「今回で家族シリーズは一応ピリオド」という。
映画『スープとイデオロギー』 (soupandideology.jp)「

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