井上実監督インタビュー
ドキュメンタリー映画「キャメラを持った男たちー関東大震災を撮るー」
2023年8月26日から大阪・十三第七芸術劇場で公開

近年、大きな災害事件が頻発しているが、そのたびに引き合いに出るのが100年前の「関東大震災」(1923年9月1日)である。「阪神大震災」(1995年)で記憶にあるのは阪神高速道路がドーンと横倒しになった映像ですぐ近くに住んでいた映画監督の大森一樹が「原爆が落ちたかと思った!」とその時の衝撃を語っていたのを思い出す。「東日本大震災」(2013年)では大宮浩一監督をはじめ多くの映像作家、テレビのキャメラマンなどが現地に入り惨事を記録し、映画館で公開し、ニュース番組で放映されたのは記憶に新しい。
100年前の関東大震災の惨事を映像に撮ったのは当時のニュースカメラマンで、それは多くの人がいたと思われるが、今も名前が残っているのは岩岡商會で皇室行事や大相撲の撮影をやっていた岩岡巽、日活向島撮撮影所の撮影技師で名匠・溝口健二監督のデビュー作「愛に甦へる日」を撮った高坂利光、そして松竹キネマ研究所などに所属したキャメラマンの白井茂の3人といわれる。
ドキュメンタリー映画「キャメラマンを持った男たちー関東大震災を撮るー」(企画・製作・配給=記録映画保存センター)を手がけたのは、東陽一監督などが所属した幻燈社で映画製作に携わっていた井上実監督(57)。これまで多くの文化財などを扱った記録映画を作ってきたベテランで「昔から現代に伝わり残る古い記録映画の映像に興味があり、関東大震災のそれを見たとき、それは誰がどのようにして撮って、どのように公開され、今日まで保存されたのかと思った。そのプロセスを多くに人たちに伝えたいと映画を企画した」と経緯を話す。
その古いフィルムは1970年設立の東京国立近代美術館フィルムセンターというところに保存され、2018年設立の国立映画アーカイブに移された。震災直後、3人は誰に命令されたわけでもなく、夢中で手回しキャメラを持って外に出て、逃げ迷う避難者や壊れた家、火の海になった街の様子を眺めた。「こんな時に撮影なんかするな!」という罵倒の声もあったという。キャメラはアメリカ製の手回しのユニバーサルキャメラで、現在、神戸映画資料館にそれは保管されている。そのキャメラで、100年後の今の東京・浅草六区を撮影したカラー映像が映画で紹介されている。
「動く映像記録は、例えば震災で人々が逃げ惑う背景の空に煙が上がり、それがどちらに流れているかで当時の天候などが推測される。12階建てビルが崩壊するシーンは、よく見るとそれは震災ではなく、その後危険ということで爆破された時の映像ということも分かる。いろんな震災映像があるが、どれもキャメラマンが死を賭して記録したもの。その貴重な映像が今後も大事に保存されると同時に、これを見直し、今日の自然災害、人災などに備えた手引きにすることも大いに考えられる。過去の成功や失敗から学ぶこと。フィルムアーカイブはわたし達の文化遺産の一部として欠くことはできない」
「映画の構想は100年、製作は4ヶ月でした」と井上監督は笑顔で話した。
また関東大震災時に、千葉県東葛飾郡福田村(現・野田市)で起きた事件を劇映画化した「福田村事件」(森達也監督)が9月1日からシネ・リーブル梅田、第七芸術劇場、MOVIX堺、京都シネマ、京都みなみ会館、同2日から大阪シネ・ヌーヴォで公開される。「関東大震災から100年、今考えるテーマだと思います」と井上監督は付け加える。

写真は「貴重なフィルムから教えられることがいっぱいある」と話す井上実監督=大阪・十三の第七芸術劇場

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