大宮浩一監督インタビュー

公開日
2023年4月1日よりポレポレ東中野にて
4月8日より第七芸術劇場にて
4月14日より京都シネマにて、ほか全国順次

「ただいま それぞれの居場所」「夜間もやってる保育園」などの大宮浩一監督が、27歳で舌がんの診断を受けた鈴木ゆずなさんのドキュメンタリー映画を撮った。仕事を休職して治療を続ける中で、様々なことを発見していく彼女の姿は、人間が人間らしく生きるためには何が必要なのかを問いかけている。これまで制作していた作品と、ちょっと違うアプローチだったという本作について、大宮浩一監督に伺った。

(Q) この作品は鈴木ゆずなさんの企画です。どうしても人に伝えたいことがある、ということですね。
(大宮監督)こういう形を最初から考えておられたかどうかは分かりませんが、発信をしたい、と仰っていたんです。NPO法人「地域で共に生きるナノ」代表の谷口眞知子さんの紹介で、谷口さんと一緒に鈴木ゆずなさんと翔太さんご夫婦に会いに行きました。僕としては断るつもりで。カメラがあるとはいえ、僕みたいな〝ひ弱な〟人間は、そういう病状の方と向き合うことはとても出来ない、そう考えていた。ところがお2人の話を聞くうちに、少しずつ気持ちが緩んでいって、最後には、どういう出口になるかは別として「少しずつ撮り初めてみましょうか」ということになりました。お2人の初対面の時の印象、爽やかさと、病気に対する葛藤を抱えていることを真摯に伝えてくれた姿勢に、僕が感化されたということでしょうか。

(Q)本作でゆずなさんが仰ることの中には、よくある台詞じゃないものが、たくさん出てきます。希望のある物語が嫌いな人は少ないでしょうし、特に病気を題材にした作品の場合、マスコミは希望の持てる作品を賞賛しがちです。でも、本作を構成しているのは、必ずしも前向きなエピソードばかりではありませんね。特に後半では、治らない病気もある、とはっきり言っている。けれども〝自分は若い世代に向けて、こういうことを伝えておきたい〟という風に収斂されていきます。
(大宮監督)今回の作品は、僕ら作り手の考えや想いはなるべく排除して、ゆずなさんの言葉そのものをお客さんに、ストレートに伝えることにしました。ゆずなさんはこうして発信しましたが、あえて発信しない人も居るかもしれませんね。僕は各世代の人に観て欲しいと思いますが、あえて言えば、若い世代に触れて欲しい作品だと思います。

(Q)劇中、ゆずなさんが「なかなか、最後まで話を聞く人って、いないんですよね」と、こぼされるシーンがありますね。この台詞は、映画全体を通して鍵になっているような気がしました。彼女の言葉の、かなり細かいニュアンスまで、大宮監督は聞き取っておられますね。
(大宮監督)あの言葉はAYA世代(注1)特有のものでもないですし、ガン患者特有でもないと思います。「人の話を最後まで聞く人って、少ないですよね」は、今の社会だと思います。例えば、ちょっと心のコンディションを壊してしまい、引きこもったりしている人達に、聞く耳を持つ人の多い社会であれば、少し違うと思う。自己責任論を持ち出して、聞く耳を持たない。会話の場すら無い。だんだんそういう度合いが、強くなってきているんじゃないかと感じています。

(Q)「地域で共に生きるナノ」利用者のお母さんのコメントでも、「相談する先が無かった」という言葉が印象に残ります。問題を抱え込んだ時に、一体どこに相談していいのか、わからなくなることは、私たち誰にでも起こり得ることだという感じがここでしたんです。
(大宮監督)たとえば、ナノの谷口さんと鈴木ゆずなさん。この2人が結びつかなければ、ゆずなさんの闘病生活は違うものになったでしょう。僕は谷口さんからの紹介なので、当然、僕も会わなかった筈だ。いろいろな制度を熟知している谷口さんとゆずなさんが出会うことによって、ゆずなさんもある程度、経済的に助かる部分もあるわけです。でも実際は我々も、いろんな制度を分かっていない。制度と当事者を合わせることが出来るコーディネーター的な人が、現状では若い世代には居ないので、そこは、社会とか〝おせっかいな人〟とかが必要なわけです。僕は、何本か映画を作っている中で、制度には不備があると分かってきた。でも、その制度の不備を声高に、「改善しろ」という映画作りは苦手なんです。僕は行政側は一所懸命やっていると思う。一所懸命だが手が回らない、というのが実際のところだ。もしかしたら、ちょっと褒めてあげた方が、世の中うまく回るようにも思うんですけれどね。少なくとも、制度というのは、人を助けるために人が作った。それを運用するのも、利用するのも、人なんですよ。ここからここまで、という線引きの幅を、広げたらきりが無いが、相手によって、ゆずなさんはこう、旦那さんはこう、という風に幅を持たせる。それが多分、制度の運用だと思う。僕は、今ある制度でも、運用する人間が、当事者をよく知って、見て、その上で判断すればいいと考えているんです。凄く大きな話だと、日本の場合一番大きな法は、憲法ですよね。憲法でさえ、憲法解釈という学問があり、文言の解釈を研究している学者が居ますね。無論、悪意にとって運用する危険性もありますが。いわんや、行政の作っている制度は、もうちょっと、幅を持たせて欲しいと思っています。これはあくまで僕の考えで、本作のゆずなさんの場合は、たまたま、いいように回った。その事実を伝える・・・というところまでで、映画の中では止めています。

(Q)本作は、よくあるドキュメンタリーと違って、ゆずなさんの生い立ちなどを説明していないですね。
(大宮監督)ゆずなさんは、撮ってもらうなら「他人の方がいい」と言われました。僕はどうして、自分を知っている人より、知らない人がいいのかな?と思いましたし、その答えは今でもスパンとは出ていない。ただ、今の状況になってからの自分を発信したい、という彼女の意志に沿って映画を作ることにしました。背景を知るための取材はしましたが、劇中で使用するためにお借りした写真も、病気の診断を受けた後のものです。それ以前のことは、看護師さんだったという基礎情報だけ。ゆずなさんの先輩看護師さんとか、翔太さんの友人とか、義理のお姉さんとか、話を聞く相手は絞り込み、少し客観的に聞きました。作り手の方針として、他のご家族の方にはあえて話を聞きませんでした。ゆずなさんと翔太さんの2人だけでいいかな、と思った時期もありましたが、なかなかそれだと、変化に乏しかった。

(Q)映画の中の大宮監督と鈴木ゆずなさんのやりとりは、凄く息が合っていると思いました。取材対象の方と仲良くなられることは、あるんですか?
(大宮監督)僕はお酒が大好きなんですが、撮影が終わるまではなるべく飲まないように、といった線引きはします。今回は、カメラマンが女性で、ゆずなさんと年代も近い人です。そのカメラマンに助けられたことが、撮影現場で何度かありましたね。僕は意外と、対象と距離を置くんですが、ゆずなさんが彼女にだんだん、親近感を感じていったように思います。

(Q)ガンを患っておられる方を撮影するに当たっては、監督ご自身、悩まれたこともおありだったのではないか、と思います。でも、鈴木ゆずなさんのように、自分の経験から掴んだ事実を人に伝えるということは、堅い言葉で言うと、実証主義というものですね。実証主義に基づいているわけだから、出てきた事実が意外なことだった、ということもあり得ます。これは本作の特徴ですし、ドキュメンタリーが持っている本当の価値じゃないか、と思ったのですが。
(大宮監督)今までは、作品の中で多かれ少なかれ、直接間接的に自分の思っていることや自分の考えを忍ばせたり、直接言ったりしてきたんです。でも今回は、ほぼ、ゆずなさんとナノのみなさんの声、考え、事実を直球でお客さんに届ける、媒介としての作り手に徹したつもりです。でも、そういう作り方がどうなのかな?っていうのは、編集しながら、ずっと思っていました。今、こういう作品になってみると、直球でも、ひとつのドキュメンタリーの形としてありかな、という気もしてきました。事実を伝えるだけなら報道ですが、報道
ではなくて映画にしなきゃならない・・・というところでは、努力したつもりです。何が映画か?というのは、これは又、映画論になる。今回は事実の部分だけをドキュメンタリー映画として提示しようとしています。
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注1: AYAとはAdolescent and YoungAdultの頭文字をとったもので、おおむね15~39歳のこと。この映画を企画した鈴木ゆずなさんは、「AYA世代」で、この世代の多くが医療費制度と介護保険の谷間に居る。

配給・東風
©大宮映像製作所

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