「第三回 京の活動写真 下鴨映画祭」
2025年12月11日
京都府立文化芸術会館
 「目玉の松ちゃん」を知っていますか?無声映画時代に活躍した尾上松之助(略歴を参照)のこと。50歳で亡くなった時には、5万人が葬儀に集まったほどの大スターだった。とはいえ、無声映画の時代は遠い昔で、その存在を知る人はだんだん少なくなり、まして彼が主演した映画を観る機会は少ない。そんなななかで、2013年、祖母が松之助と親交があったという松野吉孝さんが代表をつとめる「尾上松之助遺品保存会」が発足。現在まで地道に活動を続けている。そうした活動を知った私は松野さんを訪れたことがあり、松之助が撮影で使ったという兜を着けさせていただいたこともあった。
 そんな「遺品保存会」が主催したのが「下鴨映画祭」。3回目の今回は「松之助生誕150年記念」と共に、無声映画での活動弁士をつとめ、映画の収集、後進の育成に尽力した「松田春翠生誕100年記念」と銘打たれ、400人の観客が集まる盛況だった。いろいろな作品で、松之助の〝さまざまな顔〟を楽しめると同時に、活動写真弁士10人、和洋合奏談6人が無声映画を盛り上げた。
◇「雷電」(1928年)=大横綱と言われた雷電の「無敗記録」が破られた謎を解くコメディータッチの作品。急遽、力士に祭り上げられた細い身体の男を、後に名監督になる正博がコミカルに演じている。
◇「自雷也」(1925年)=松之助の代表作の1つ。いまでは驚くこともない、「人間が消えたり現れたりする」撮影技法を駆使、当時の人々はびっくりしたのだろう。
◇「ドタバタ撮影所」(製作年不詳)=アメリカ映画。ライオンと人間との「共演」など、いまでは絶対に考えられないドタバタ喜劇。主人公の動きがチャップリン風なのが興味深い。
「弥次喜多 善光寺詣り(1921年)=松之助が弥次さんに扮して、軽妙な演技を披露。愛称通り、かっと目を開いて見得をきる武士のイメージが強い彼だが、この作品で演技力の幅の広さをみせた。
◇「最古の忠臣蔵」(1910年から1917年までの忠臣蔵映画を編集)=これが今回の〝目玉〟作品。上映前に解説した児玉竜一さん(早稲田大学演劇博物館館長)によると、「いろいろな作品を繋ぎわせている部分もあるが、物語全編を描いたものでは最古。後の「忠臣蔵映画」に大きな影響を与えている」という。松之助は浅野内匠頭、大石内蔵助、清水一学の3役を。内匠頭では有名な「松の廊下」で耐えて耐える芝居を。内蔵助役では「祇園一力茶屋」で仇討ちを、隠しとおす浮かれぶりの芝居を。一方、家来を率いて討ち入りする時は貫禄の演技。さらに、吉良側の一学役では、得意のチャンバラと、持てる魅力をフルの発揮している。また今回、この作品では弁士たちが「声色掛け合い」という、いまでいうアテレコ風の趣向にチャレンジ。みんなが職人技を見せた。
 全編をとおして充実した内容、分厚い資料も無料で配布され、松野さんをはじめとする関係者の地道ながら熱い想いが伝わる催しだった。
〈尾上松之助・略歴〉(1875年~1926年) 岡山市生。呉服屋に奉公したこともあったが、14歳の時、旅役者の道へ。1909年、二代目尾上松之助襲名。明治42年、 牧野省三に勧められ活動写真の世界へ。 時代劇スターの元祖として1000作品に出演と伝える。1965年、松之助の社会福祉への功績を讃え、 下鴨神社の南、鴨川公園に「尾上松之助像」 が建立された。

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