八代目 尾上菊五郎、六代目 尾上菊之助 取材会
2025年10月27日
「當る午歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎
2025年12月1日~25日
南座
京都・四条河原町の南座に、歌舞伎役者の名前を勘亭流で書いた顔見世興行の「まねき」が揚がると、師走がやってくる。毎年、そんな古都の風景が楽しみだ。今年は、そこに「八代目 尾上菊五郎」「六代目 尾上菊之助」の「まねき」も見ることができる。2025年5月、6月の歌舞伎座、7月の松竹座、10月の博多座に続いて、京都でこの親子による襲名披露公演が行われる。それに先駆けて行われた取材会で、2人は京都や演目への想いを話した。
菊五郎が「公演ごとに、歴代の菊五郎が築き上げてきた業績と責任をひしひしと感じています。ただ、重みやプレッシャーというだけではなく、自分の励みにもなっています。この公演は1年の締めくくり、次の年につながる大切な公演です」。続いて、菊之助は「南座には初めて出演します。先祖ゆかりの土地で襲名興行させていただくのは大変嬉しいことだと思っています」と挨拶した。
いまでは江戸歌舞伎の名跡としてしられる」「音羽屋」(屋号)だが、実は初代尾上菊五郎は、1717年に音羽屋半平の子として京都に生まれたという。つまり、その屋号を引き継ぐ彼らにとっては「故郷」であり、大切な場所なのだ。今回の「顔見世」では、菊五郎が昼の部では「鷺娘」、夜の部は「弁天娘女男白浪」を。菊之助は昼の部に「玉兎」、夜の部に「寿曽我対面」。そして「襲名披露 口上」もある。
まず、菊五郎が鷺の精を演じる「鷺娘」について、菊五郎はこう話す。
「九代目市川團十郎さんが現代の舞踊に作り替え、五代目、六代目が得意としていた演目で、私は博多座に続いて2度目。従来は三段(階段)に乗って決まるという形を、六世藤間勘十郎先生が『死に絶える』という演出を作られ、現在では両方演じられていますが、今回は三段を上がる演出で演じます」。
また、こんなエピソードも「アンナ・パブロワさん(バレリーナ)が日本にいらっしゃって、素晴らしい『瀕死の白鳥』の演技を見せられた。それに感銘を受けた六代目が『死に絶える時に、息をしてないようだが、どういうふうにしているのか』と伺ったところ、『この舞台で死んでもいいつもりで幕切れを迎えている』と答えられたそうです。それを聞いて、国は間違えども、芸に対する向き合い方は、共通していると身が引き締まる思いがしました」。
「鷺娘」の一場面が登場した映画「国宝」は大ヒット。「オーディブルで上下巻を朗読しました。それ以前から中村鴈治郎さんの部屋に吉田修一先生(「国宝」原作者)が黒子姿でつめておられて、これが映画になると聞いた時には、どんなふうになるのだろうと、若干不安な気持ちにもなったのですが…。歌舞伎にかける芸術に対する思いというものが、正に鮮明にそして綺麗な映像と音楽、舞台美術も素晴らしかったし、役者から見た視点で描かれるということが、いままでなかったので、素晴らしい作品だと思います。歌舞伎をご覧になったことがない方も、劇場に足を運んでいただいていると感じています。そういう意味でも、この公演は代表的な演目が並んでいるので、興味を持ってくださった方には、おすすめだと思います」とも話した。
そして、「弁天娘女男白浪」もゆかりの演目。「五代目が歌川豊国の絵画から着想を得て、女から男に代わるいう趣向を様式的な七五調のセリフ、形の良さを残してくださいました。それと同時に親子の愛情というのが描かれていて、日本人の心として残っているものなので、この演目を選びました。先人たちが遺してくれた演目をただ引き継ぐだけでなく、現代のお客さまに伝えたいと思っています」。
歌舞伎への想いを語る父の言葉をじっと聞き入る菊之助。現在、小学校6年生、「同y級生たちは歌舞伎は難しいように思っている子が多いのですが、映画(「国宝」)を見て、歌舞伎のファンになってくれたらと思っています。襲名披露から半年経ち、舞台を重ねるうちに、体力がついている気がします。10月公演が終わった時、父に間違えたことを指摘された時、『もっと成長するために厳しく言っているのだ』と言われて、そうなんだと思いました。
「玉兎」については、「うさぎが餅を楽しくついている風景を、可愛く楽しく見てもらえるよう踊れたらと思います」。そして、「寿曽我対面」には初出演。「響くようなかっこいいセリフ言えたらないと思っています」。
《上演演目》
〈昼の部〉午前10時30分~
第一、醍醐の花見(だいごのはなみ)
第二、一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)
第三、鷺娘(さぎむすめ)
〈夜の部〉午後4時30分~
第一、寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
第二、六代目尾上菊之助 襲名披露 口上(こうじょう)
第三、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
第四、三人形(みつにんぎょう)