「国宝」
2025年6月6日公開
東宝から試写会に招待され、この映画を鑑賞した。
東宝には帝国劇場(閉館中)を拠点にする東宝ミュージカルをはじめとする東宝演劇。松竹には歌舞伎座、南座、松竹座で上演される古典芸能の歌舞伎。大手興行会社は映画はもちろんのこと、演劇部門でもそれぞれ大切な「宝」をもっている。お互いがそれを守り発展させているなか、東宝が歌舞伎を題材とした映画を作り、配給するという、ある視点から見ると、たいへん珍しい試みといえるのがこの映画。
原作は吉田修一による同名小説。3年にわたって歌舞伎の舞台で黒衣を纏い、楽屋に入った経験がある吉田が、その独特な世界を熟知したうえで、あえて「大胆な設定」を据えて、〈芸道エンタテインメント〉として書き上げ、それが映画化された。
白粉(おしろい)で、ソレを塗り消していく喜久雄(吉沢悠)の様子が、歌舞伎を少しでも知る人っちにとっては衝撃的だ。ある出来事で歌舞伎役者に引き取られた彼は、この古典芸能で長年にわたって受け継がれてきている家柄、それも名門の家に生まれた俊介(横浜流星)と出会い、生涯のライバルとなる。2人とも自分ではあらがいようのない、あまりにも対照的な出自、生き方を歩んでいく。映画は「花井半二郎」という大名跡をめぐり、周囲の人物との壮絶なぶつかり合いをリアルに描いていく。一方、女形として白粉、紅をつけ、あでやかな姿で舞い踊る喜久雄と俊介。様式美でかたどられた演技のなかにある、すさまじい愛憎。美しくて品格をそなえていけばいくいほど、日常の生きざまと舞台の美しさとのコントラスト、めりはりが増幅していく巧みな構成。女形の代表作である「鷺娘(さぎむすめ)」「京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」が登場。言うまでもなく、吉沢、横浜が吹き替えなしで演じている。所作はもちろんのこと、歌舞伎俳優ではあまりない顔のアップ(「シネマ歌舞伎」では撮影されるが…)もあり、よけいにハードルが高いのだが、それをクリア。歌舞伎ファンが観ても、(微妙な差異があったとしても)、花井東一郎(喜久雄の芸名)、花井半弥(俊介の芸名)ファンになるかも?とさえ思えてくる。
一方、演劇も取材している筆者にとっては冒頭にあげたように、東宝と松竹との「兼ね合い」具合も興味深かった。例えば、彼らが芸を披露する劇場のこと。歌舞伎座や南座の外観などは正面の風景で一瞬にわかったし、京都の花街の発表の場として存在する先斗町歌舞練場(ぽんとちょうかぶれんじょう)の和洋折衷の古いたたずまいが使われているのもなるほど! そして、上方歌舞伎の重鎮、中村鴈治郎が所作指導と共に、歌舞伎俳優役ではなく市井の人物に扮して出演。ある意味では、この映画が〈芸道映画〉として成立するための〝橋渡し〟的な大きな役割を果たしているように感じた。
話題は飛躍するが、それぞれの会社には大切に守り続けている「宝」がある。それらは、他社(他者)にはアンタッチャブル(触らぬもの)にされがち。しかし、この作品のように違う角度から描くと、「宝」の魅力を再認識できる効果があるのではないか。そんな契機にもなればとも思う。
〈ストーリー〉喜久雄(吉沢悠)は、父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介(横浜流星)と出会う。正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なるライバルとして、互いに芸に青春をささげていくのだが、 多くの出会いと別れが、運命の車を大きく狂わせてゆく…。
〈キャスト〉吉沢悠、横浜流星、渡辺謙、高畑充希、寺島しのぶ、田中沢、永瀬正敏、 森七菜、 三浦貴大、 見上愛、黒川想矢、 越山敬達、 嶋田久作、宮澤エマほか。
〈スタッフ〉原作・吉田修、監督・李相日、脚本・奥寺佐渡子、撮影・ソフィアン・エル・ファニ。美術監督・種田陽平、歌舞伎指導・中村鴈治郎。主題歌・「Luminance」原摩利彦 feat. 井口理(Sony Music Label Inc.)。
製作・映画「国宝」製作委員会、配給・東宝。

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