松竹創業百三十周年「三月大歌舞伎 通し狂言 仮名手本忠臣蔵」
2025年3月4日~27日
休演日・10日、18日
歌舞伎座
A・Bの日程で配役を変えての上演
(詳細は公式ウェブサイトで確認を)
松竹創業130周年記念での通し狂言で大看板と次代を担う俳優陣とで役替わりによるA日程、B日程があります。観劇したA日程について役ごとに、昼夜各部に分けてリポート。今回は夜の部です
夜の部は五段目から。
おかるの実家に身を寄せ猟師となっている勘平は噂に聞く仇討ちにどうしても加わりたい、夫をなんとかして元の侍の身分にもどしたいおかるとその願いを叶えようとする両親。相手を思っての行動がわずかに食い違うことでおきる悲劇が六段目までで描かれます。
斧定九郎 尾上右近
雨に濡れた様の表現には舞踊で鍛えた所作の美しさがあり、勘平に撃たれて倒れた脚に流れる血はなんとも色っぽく、一瞬の出番の中、悪の華が強く印象付けられました。
早野勘平 尾上菊之助
「雛には稀な・・・」という表現がありますが、猟師となっていても上品でかっこいい。そして、母おかや(上村吉弥)の雨漏りへの愚痴にも優しく答える姿。この婿殿のためにと夫婦が行動するのも、おかるが甲斐甲斐しく世話をするのも納得する風情です。雨の夜に偶然出会えた浪士たちがやってくる前に紋付に着替えて袖を眺める表情の嬉しそうなこと。
やっと本来の姿になれた、不忠義をようやく詫びることができる、その喜びが抑制された動きのなかで表されていました。これが効果的で、物語が進むにつれこのピンと張った浅葱の着物がよれて崩れていく様が勘平の心が砕けていくようにも捉えられ、腹を切る選択しかなかった彼の悲運に説得力を持たせています。死を以て連判状に名を連ねることが叶い、幕切れに義母おかやの腕の中で息絶えるのですが、その閉まっていく間際に見せた微笑みも胸を打ちます。そして、B日程での判官役も観たくなる力演でした。
五・六段目の悲劇から一転して祇園町の華やかな音で始まる七段目。
昼の部の道行と同様この緩急が通し狂言には必要なのだと実感します。
見取りでも多く演じられてきた祇園一力茶屋の場は、本心を隠して慎重に周到に支度を進める由良之助の家老としての人物の大きさが鮮やかに表現される名場面です。
大星由良之助 片岡愛之助
昼から観続ける観客は言わずもがな…。同じ松嶋屋だからこそどうしても仁左衛門丈の由良之助を思いだしながら観てしまうのはしょうがないとお許しいただきたいところ。
由良之助としての登場にはもちろんですが、大怪我からの無事の舞台復帰に、そしてこの日はお誕生日とのことで客席の盛大な拍手で迎えられます。
本心を隠した家老由良之助としての一挙手一投足、科白の一つ一つ、全てを丁寧に演じているのが伝わってきました。
おかる 中村時蔵
勘平の世話女房として登場していた前段から打って変わって美しい遊女として登場。のちに兄の平右衛門が「きれいになったなぁ」とうっとり言うのに完全に同意できるほど、鮮やかな変身です。とはいえ中身はおかるちゃん。由良之助とのじゃらじゃらした会話、身請け話に素直に喜び、それを勘平に伝えたいと手紙を必死に書いていると声をかけてきた相手が兄だとはその声だけでは気づかない。
危なっかしいふわふわした女性っぷりですが、それがまた愛らしいところです。兄・平右衛門とのやりとりも直向きさと、夫勘平の最期を知って覚悟を決めたときの強さ。全身で演じたおかるの魅力でした。
寺岡平右衛門 坂東巳之助
本人の身分は足軽。義理の弟・勘平は一味に加われたとはいえ死亡。それ故さらに加わりたい仇討ち。この一念を抱えて登場するおかるの兄です。この仮名手本忠臣蔵の初演は平右衛門のモデル寺坂吉右衛門が没した翌年であることを鑑みると、人形浄瑠璃で非常に格好良く描かれるのも納得の登場人物です。歌舞伎になると演じ方によって役の個性がだいぶ変わるのですが、今回は平右衛門の人間味が強めでした。おかる(時蔵)との芝居の息がぴったりで、この兄にしてこの妹、そして母おかや、それぞれの人の良さと一途さ具合がはまっており家族としての説得力がありました。
工夫が感じられた芝居に、人形浄瑠璃版の判官墓前での焼香の場面、勘平の形見の縞の財布を由良之助が取り出しそれを受け取って平右衛門が勘平の名前を名乗って焼香するというこの場面も観てみたい、そんな妄想(歌舞伎では花水橋の引揚で幕切れなので)も心に抱きました。
今回は通し狂言とはいえ全段ではなく、個人的には女方もせっかくそろっているので山科閑居も観てみたかったところです。
初めて「仮名手本忠臣蔵」を観た子ども時分、討入りを楽しみにしていましたが、観劇後は山科閑居の素晴らしさに圧倒されたのが今でも心の記憶にはっきりとあります。
公演プログラムに記載の記録を見ても通し狂言の中では歌舞伎座では久しく演じられていません。以前、国立劇場で月を分けて全段通しで上演されましたが、国立劇場閉鎖に伴いそうした次世代に作品をつなげるための取り組みが難しくなっている昨今です。「忠臣蔵」そのものが世代で共有されにくくなっている時勢を鑑みると観客が物語を追いやすい流れでの組み立ても必要ですし、難しいところですが、これだけの俳優を集めての公演だからこそという欲が観客としては残ってしましました。
事前発表の夜の部終演は21時2分の予定でしたが、十一段目引揚げの場の浅葱幕が振り落とされたのが21時5分。これは最終の新幹線に間に合うギリギリの時間です。夜行バスが大雪の為運休した為、翌朝には大阪にいなければならず、泣く泣く客席を後にしました。
最後の最後、本懐を遂げた浪士一同の表情も、鮮やかな幕切れとなる尾上菊五郎丈演じる服部逸郎も、観られず終い…無念。無念が引き起こす物語の観劇としてはこれもアリなのか…。
さて、外に出れば強い風で斜めに降る雪。
雪の討ち入り後、リアル空間も雪という経験は現代では真冬でもなかなかないでしょうし、それも桜の開花予想も出ようかという三月となると、これもまた2度と味わえない忠臣蔵観劇体験でした。終演後ゆったり外に出られた観客が味わった余韻は最高だったことでしょう。