松竹創業百三十周年
「三月大歌舞伎 通し狂言 仮名手本忠臣蔵」
歌舞伎座
2025年3月4日~27日
休演日・10日、18日
A・Bの日程で配役を変えての上演
(詳細は公式ウェブサイトで確認を)
時は令和7年3月 季節外れの大雪の予報。それでも朝9時過ぎから自由席の幕見を求める列が見られるほどの熱気のもと通し狂言『仮名手本忠臣蔵』初日の幕が上がりました。
松竹創業130周年記念での通し狂言で大看板と次代を担う俳優陣とで役替りによるA日程、B日程があります。観劇したA日程について役ごとに、昼夜各部に分けてリポートします。
◆昼の部 午前11時~
昼の部では古式に則り、10時50分頃より幕前にて、『仮名手本忠臣蔵』ならではの演出として「口上人形」による当日の配役の読み上げあり。
高師直 尾上松緑
身分の高い人なのに平気で嫌がらせをする現代でいうパワハラセクハラ(人妻に横恋慕)のいやらしさを品を失わないギリギリで表現。顔の拵えが人形浄瑠璃文楽の師直で使われている大舅にそっくりの仕上がりでした。
桃井若狭之助 尾上松也
血気盛んで短慮というよりは、体育会系熱血漢といった風情をわずかな登場でしっかりと表現。
塩谷判官 中村勘九郎
怒る若狭之助を目と僅かな動きで抑える理性派を体現。その判官が堪えきれなくなり刃傷事件を起こしてしまうのがこの物語の悲劇性です。切腹を前に由良之助の到着を待つ主税との芝居、九寸五分を腹に突き立て必死に待ったその到着、託す無念、動きと心とが一致した芝居でした。
大星由良之助 片岡仁左衛門
珠玉の芝居とはこのこと。花道を駆け込んで来た時の大きな拍手は通さん場に相応しいか否かは別として、判官とともにこの人を待っていた観客の気持ちの発露でしょう。判官が無言で目で敵討を頼み、万感の思いを声に乗せて答えたくても、幕府の使者の手前出来ない由良之助。客席も息を殺して2人を見つめていました。
そして使者が引き上げる際の、上使・石堂右馬之丞(中村梅玉)の目の芝居。由良之助をはじめとした家臣団への共感があっても表せないところをわずかな動きで表現し、両者が共演した昨年顔見世の『元禄忠臣蔵 仙石屋敷』における大石内蔵助(仁左衛門)と仙石伯耆守(梅玉)での名演も思い出されました。
うつ伏せに果てた判官の身体を、まずは足を伸ばして楽にさせ、小袖や裃・袴を整えます。その姿は我が子にそっと布団をかけるような慈愛にみちたもの。次に握りしめている短刀を離させようと指に触れ、一瞬その手を離して両手で判官の手を包み泣き伏す。無言で進む演技には主君への思慕、家老としての悔い、人としての悲しみ、あらゆる思いが迸っていました。
城受け渡しで門外に出た時、提灯の火袋から浅野家の紋を切り取るのではなく、丁寧に他を外して火袋だけにしてそっと畳んで懐へ。主君の渇いた血のついた、手からそっと外して紫帛紗に包んだあの短刀もその懐にあることを観客は知っています。主君の無念を引き継ぎ、悲壮な覚悟を決めた由良之助の花道の歩みには胸が塞がって私は拍手も出来ませんでした。
判官葬送の列で絶望の淵の顔世御前(孝太郎)が毅然と花道を歩むところも含めて四段目には拍手も大向うも一切不要と思えるほど判官の死の悲しみが劇場内に溢れていました。
ここに続くのが清元の舞踊です。
主君の大事に間に合わなかった早野勘平と恋人への会いたさ故の行動が大事件に繋がってしまった腰元おかるの逃避行を描きます。
勘平(中村隼人)は運命に翻弄される儚げな青年ぶり。おかる(中村七之助)は美しさと色気に「そりゃ勘平も勤めの時間にうっかりしてしまいますよね」と納得してしまう艶っぷり。師直の家臣でおかるに横恋慕している鷺坂坂内(坂東巳之助)が逃げる二人を追いかけて勘平に返り討ちに合う様の表現の軽妙さが客席を大きく沸かせます。四段目「通さん場」の悲しみと脳の痺れを清元の音色がほぐしてくれました。
全段の中で道行の存在って大事なのねと痛感して昼の部の終演です。
(夜の部に続く)
