「聖なるイチジクの種」   
  2025年2月14日公開
 「映画は作る側の想いを表現する」。というのは当たり前のことだが、その熱意、情熱が強いほうが、観る側の心に訴えかけてくるもの。ときには「素」「白紙に近い状態」で向かいあうほうが、〈フィルター〉がかからず、ストレートに訴えるものもあるが、この作品は、「監督がなぜ、これを製作したか」を知っていたほうが、絶対にいいと思う。資料で、モハマド・ラスロフ監督はこう語っている。
「イランでは国家安全保障に反する罪によって懲役8年、鞭打ち、財産没収の実刑判決を受け、2024年に国外へ脱出。28日間かけてカンヌ国際映画祭に足を踏み入れ「聖なるイチジクの種」のプレミアに参加。(中略)新しいプロジェクトにとりかかるまで4年のブランクがありました。その間脚本を数本書きましたが、2022年夏に再逮捕された体験が、最終的に『聖なるイチジクの種』の製作につながりました」
こういった経緯があり、カンヌ国際映画祭で上映されたとき12分間に及ぶスタンディングオベーションが起こり、審査員特別賞に輝いたのだった。この映画を作るきっかけになったのは、2022年 9 月 16 日、 22 歳の女性がイランで義務化されているヒジャーブ(女性が頭や体を覆う布)を着けなかったことを原因とされる警察による暴行を受けで死亡した事件。
イランの現在の体制に強く抗議する意思が表れているが、それをストレートに訴えるのではなく、「家族における出来事」に置き換えることで、映画作品としてドラマチックに、そして国や体制が違うわれわれにも共感する要素が多い。例えば、家族のために、「嫌な仕事」をして養う人物(ここでは父親)。「嫌」にも程度があり、この主人公ほど、重く危険な任務ではないとはいえ、多くの人が抱える問題であろう。男性の権限が強いイランにおいては、妻はそれを支える立場であり、自由な空気を少し体感している娘2人の間にはさまれて苦悩する様子が描かれる。その象徴的なモノが拳銃。「護身のためでもあり、権威のシンボル」でもあるコレをめぐって、物語は過酷な展開になっていく。
ある意味で「エンタメ」という映画の要素を保ちながら、そこに内在するシビアな現状を考えさせてくれる作品だ。
〈ストーリー〉 “ある日、家庭内で 1 丁の銃が消えた。” 市民による政府への反抗議デモで揺れるイラン。 国家公務に従事する一家の主・イマンは20年間にわたる勤勉さと愛国心を買われ夢にまで見た調査官に昇進。 しかし仕事は、反政府デモ逮捕者の起訴状を国の指示通りに捏造することだった。不当な刑罰を課された市民たちによる反感感情は日々募り、国からは護身用の銃が支給された。 しかし、そんなある日、家庭内からその銃が消えた。 最初はイマンの不始末による紛失だと思われたが、次第に疑いの目は、妻・ナジメ、姉のレズワン、妹・サナの 3人に向けられる。誰が?何のために?捜索が進むにつれ家庭内を支配する疑心暗鬼。そして家族さえ知 らないそれぞれの疑惑が交錯するとき、物語は予想不能に壮絶に狂いだす。
〈キャスト〉ミシャク・ザラ、ソヘイラ・ゴレスターニ、マフサ・ロスタミ、セターレ・マレキ
監督・脚本:モハマド・ラスロフ
2024年/フランス・ドイツ・イラン/167分 配給:ギャガ ©Films Boutique

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