令和7年初春文楽公演
2025年1月3日~1月26日
国立文楽劇場

第1部 「新版歌祭文」
 座摩社の段
 野崎村の段
第2部 「仮名手本忠臣蔵」
 八段目 道行旅路の嫁入
 九段目 雪転しの段
     山科閑居の段
第3部 「本朝廿四孝」
 道行似合の女夫丸
 景勝上使の段
 鉄砲渡しの段
 十種香の段
 奥庭狐火の段

 初春文楽公演は劇場も正月の装い。門松、鏡餅とにらみ鯛で観客を迎えるだけでなく、劇場内の舞台の上、天井にもにらみ鯛が飾られていますし(これが可愛くて毎年楽しみ)、今年の干支の「巳」の文字も掲げられています。赤穂大石神社飯尾義明宮司の手によるものだとか。開演前、太夫と三味線が座す「床」には鏡餅が置かれており、それを来場者が撮影するのも初春ならではの風景です。
 さて、今年は近松半二の生誕300年にあたるので、初春文楽の第1部と第3部は彼が残した作品が上演されています。半二は近松門左衛門亡き後、歌舞伎人気に押されていた人形浄瑠璃を再び盛り立てた戯作者です。当時の歌舞伎人気に合わせて、物語の構成も歌舞伎的。今でも歌舞伎でも名作として上演されているのも納得です。
 大河ドラマべらぼうの蔦重が江戸でメディア王としてのし上がっていく少し前に作品を次々と発表しています。半ニの作品の浄瑠璃本も読み物として重三は貸本で扱っていたことでしょう。

第1部は「新版歌祭文」
 油屋の娘で結婚が決まっているお染と店の丁稚久松の心中を扱ったお染久松シリーズの”新版=ニューバージョン”です。先行するお染久松の物語を軸に野崎村の段を作り上げたのが半二の新しいところです。店の先輩に騙されて預かった売上金を巻き上げられ(つまり売上横領の濡れ衣を着せられて)里に帰らされた久松。里には義理の父久作、そして久作の娘で許嫁になっているおみつがいます。そこにお染が恋しい久松の後を追いかけてきて…という筋。
 野崎村が優れているだけにこの場面だけ上演されることも多いですが、特に歌舞伎ではおみつの献身的な恋心と切なさが強調されて幕となるので、久松もお染もちょっと自分勝手に思えてしまう時も…。これは演出も含めて歌舞伎ならではの魅力です。

 今回は久松が追い込まれる理由となる座摩社の出来事とお染が久松と添いたいと願ってもそれがままならないことも描かれているので物語世界がより理解できます。お染も久松も必死。そんな2人にヤキモチを抑えきれないおみつ。気もそぞろに久作に灸を据える件にはおかしみもあります。
 そしてこの3人の思いが真っ直ぐだからこそ!思い詰めた若者を諭す久作の年配者ならではの言葉がジワジワと沁みます。義太夫語りの魅力ですね。
 
 第3部は「本朝廿四孝」
 こちらは甲斐武田家と越後長尾家の対立、諏訪湖の伝説を絡めたお話でなかなか複雑。
 武田家に仕える濡衣は勝頼(実は替玉)に愛されていますが、将軍暗殺の陰謀に巻き込まれその勝頼が切腹することとなります。失意の濡衣に課せられたのは武田家の重宝で現在は長尾家に奪われている(いはゆる借りパクされた)諏訪法性の兜を奪還すること。ともに任務にあたるのは真の勝頼である蓑作。自分の愛した人と瓜二つの人物とともに旅をして命懸けの任務にあたる…考えるだけで気の毒です。
 一方、両家和睦のため勝頼の許嫁となっていた長尾家の姫・八重垣姫は絵姿の勝頼を慕い切腹を嘆き供養をしています。無事武田家に潜入、八重垣姫に近づけた濡衣と蓑作。八重垣姫は絵姿通りの蓑作(そりゃそうよ…)との逢瀬を濡衣に頼みます。これもまた濡衣には複雑な切なさ。ここは任務と、諏訪法性の兜を盗み出して欲しいと交換条件を出します。賢い八重垣姫は蓑作が勝頼と見極め、命懸けで蓑作に思いの丈を訴えます。結ばれる恋人。うまく行ったと思ったのも束の間。蓑作に向けられた長尾家の討伐軍。間者であることはすでにバレていて謙信に捕らえられる濡衣。恋の一念岩をも通す。愛に生きる八重垣姫には諏訪明神のご加護が…というのがこの作品の見どころです。縦横無尽にスピーディーに動けるのは人形だからこそのクライマックスは是非体感してください。
 何度か鑑賞してきましたが、今回の公演プログラムを読み、実際に鑑賞してやっと物語をより理解できるようになりました。八重垣姫の存在感が大きい作品ですが、対照的な濡衣の存在とその哀れさ。対照的な人物配置も半二作品の大きな特徴とわかってはいても、濡衣をもう少し幸せに書いてあげてほしかった…。そんな心地になる、出演者の力演で物語に没頭するひとときでした。

第2部は「仮名手本忠臣蔵」
 塩谷判官(浅野内匠頭)による高師直(吉良上野介)への刃傷事件と家臣たち(赤穂浪士時十七士)の敵討ちを描いた「仮名手本忠臣蔵」。大序から七段目までの2024年11月公演に続き八、九段目が上演されています。
 大序から見ていると「なぜ桃井若狭之助とその家老加古川本蔵がこれほどフィーチャーされるのか?」「なぜ加古川本蔵の妻と娘まで登場して、その娘が大星力弥(大石内蔵助の息子主税)の許嫁設定まであるの!?」と謎のままだったと思います。伏線というには太くはっきりした物語のエピソードはこの九段目であざやかに昇華するのです。
 加古川本蔵のモデルは松の廊下の刃傷事件で浅野内匠頭を抱きとめた梶川与惣兵衛頼照で旗本です。そんな人物が家老に設定され、大石内蔵助と並び立つ存在にすることで浮かび上がるのは「僅かな行動の違いで結果が大きく変わる」という運命の歯車の皮肉さ。「せまじきものは宮仕へ」とは同じく三大名作の一つ『菅原伝授手習鑑』の一節ですが、忠臣がタイトルに来る今作を貫くのも忠義よりもずっとナチュラルな人の心の営み。情愛の姿です。
八段目「道行旅路の嫁入」
 道行とは目的地にたどり着くまでを描いた舞踊のこと。セリフ劇が続いた後にほっと一息つける場面です。今回は加古川本蔵妻・戸無瀬が義理の娘・小浪を連れて鎌倉から山科の大星家を目指す道中が表現されます。東海道の有名な地名を折り込み、結婚(もっと踏み込むとその初夜)への憧れや不安などが紡がれる舞踊です。人形が動いていると忘れる舞台。ほのぼのと、大らかな場面で乙女の恋心がかなって欲しいと思えます。
 続く九段目。この作品のハイライト「山科閑居」。
 戸無瀬と由良之助の妻のお石によるやりとりは、家老の妻としての格と迫力が求められます。夫本蔵が、大星たちへの思いはもちろん、娘の結婚までも自らの責任と考え苦しんでいることを思うと、妻として義理の母として何としても役に立ちたい、そんな戸無瀬。対するお石は心に思うところはあるのですが、冷淡に映るほど毅然としてこの押しかけ女房を拒みます。夫に父に合わせる顔がないと死を覚悟する戸無瀬と小浪。人形が体を震わせるその嘆き方は人がするより美しく見えます。そこに謎の虚無僧、実は本蔵が登場して、各々の思惑が絡み合い、3組の夫婦今生の別れという幕切に向かって行きます。本蔵と由良助、戸無瀬とお石。お互いの立場が理解できるからこその葛藤が人形からも伝わってくる不思議さ。
戸無瀬を遣うのは吉田和男。本蔵は桐竹勘十郎。そして大星由良之助は吉田玉男と、ほぼ同期の人間国宝揃い踏み。
 それで一等席は6000円、学生は4,200円、二等席は4,500円、学生は3,200円。文楽未経験の方ほど驚かれるのですが、意外とリーズナブルで肩肘張らないのが文楽の魅力の一つです。
 ちょうど同じ時期、新橋演舞場では「双仮名手本三升(ならべがきまねてみます)裏表忠臣蔵」が上演され、市川團十郎が四役早替りを勤めていますし、歌舞伎座の三月大歌舞伎は昼夜通しで「仮名手本忠臣蔵」十一段目までが上演されます。また、宝塚歌劇団卒業生(当時の出演者)による朗読劇「忠臣蔵」の公演もあります。まずはその大元となった人形浄瑠璃流文楽の忠臣蔵からその世界を楽しめます。

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