「吉例顔見世興行
     2024年12月1日~22日

 京都・四条河原町にある古いたたずまいを残す芝居小屋・南座に、「まねき」があがっている光景は、まさに京都の師走の風物詩。幸いなことに、30数年にわたってこの興行の観劇が叶っている。毎年、1日をかけて昼夜公演を観る(今回は12月2日)ため、劇場に10時間以上にわたって滞在しているのだが、今年も次のように、バラエティーに富んだ演目が並び、出演者はもちろんのことさまざまな趣向で楽しむことがでた。

〈昼の部〉
◇新作歌舞伎「蝶々夫人」
ジャコモ・プッチーニによるオペラでおなじみの物語。それは観たことがない人でも、マダム・バタフライ(蝶々夫人)に扮したプリマドンナが歌い上げるアリア「ある晴れた日」のメロディーは知っているだろう。日本の物語をイタリアの作曲家がオペラにし、それをまた歌舞伎へと、ある意味では〈先祖返り〉。オペラでは、蝶々(役名・お蝶)はもちろん、アメリカ人の夫・ピンカートンも数々の場面で登場するのだが、この芝居では、冒頭にイメージ的に登場。それからは、中村壱太郎が演じる女性の心情が綴られていく。夫の帰りを待ち続ける…といういわゆる〈日本古来の女性〉像は、いまでも歌舞伎様式なら違和感なく、せつない。その心情を琴や胡弓などのこまやかな演奏で増幅。ラストには、和楽器でアレンジされた「ある晴れた日」が流れるのは、オペラ版へのリスペクト。
  
◇「三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)」
大川端康申塚の場
お嬢吉三(片岡孝太郎)、和尚吉三(中村隼人)、お坊吉三(中村錦之助)と、登場するのは3人の〝悪党。ながら、いずれも格好よく粋で憎めない。作ったのは河竹黙阿弥で、「月も朧の白魚に~」などテンポ良い七五調の名調子が続き、全編にわたって様式美にあふれ、絵に描いたような「ピカレスクロマン」(悪漢物語)。

◇「大津絵道成寺(おおつえどうじょうじ)」
 片岡愛之助が怪我のために休演、代役をつとめた中村壱太郎が、「五変化」を見事に演じきった。アクシデントで急遽、代役に起用される…というのは舞台公演でもときおりあるが、文字通り〝ドラマチック〟。短い時間で「役を体に入れる」というのは高いハードルだが、それを鮮やかにクリア。そこに、歌舞伎と歌舞伎役者という古典芸能ならではの日頃の修練がうかがえた。
 ちなみに、大津絵とは江戸中期から大津の宿(大津市)で売られていた民俗絵。余談ながら、かつて平安神宮近くに、「大津絵」を販売している店があり、初詣などで、店の前をたびたび通った。すこしは興味があったものの、当時の自分は店内でじっくり眺めるのもなんかはばかられた。ようやく興味が沸いた頃には、店は姿を消していて、いまもそれを悔やんでいる。しかし、色鮮やかな、味わいのある画調はいまも覚えている。この演目では、壱太郎が、藤娘、鷹匠、座頭、船頭、船頭、鬼の五役に扮する舞踊劇。女形をメインして「柔の顔」が多い壱太郎の「剛の顔」が観られたのは収穫でもあった。

◇「ぢいさんばあさん」
 森鷗外の短編小説を原作に、劇作家の宇野信夫が作・演出を手がけた新歌舞伎。移りゆく季節、時の流れを1本の桜の木が象徴するこの物語は、さまざまな作品にインスパイアされている。例えば、宝塚歌劇団花組で植田紳爾が作・演出した「花は花なり」(1996年)での1エピソードなどはいまも覚えている。よくできた話で、何度も観ているが、年齢を重ねるごとに、いっそう心にしみてくる。妻・るん(中村扇雀)と子を残しての京での勤めは1年だけのはずだった伊織(市川中車)だが、甚右衛門(坂東巳之助)を斬った罪で37年も離れ離れに暮らす。そして、ようやく再会の日がやってくる。太く大きくなった桜がある庭にいる年老いた人物たちが、最初は互いの伴侶だとわからない描写。現実的に考えると、そこにはちょっと無理がありそうだが…。これによって「老い」という現実も表現しているのだろう。さらに。家と大木になった桜を守ってきた甥夫婦(片岡虎之介、中村壱太郎)を登場させることで、時代の流れというものを感じさせる、巧みな構成だ。
 〈夜の部〉に続く
写真は「ぢいさんばあさん」の一場面、市川中車(右)と中村扇雀(左)
(C)松竹

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