「吉例顔見世興行」
     2024年12月1日~22日
〈夜の部〉
◇「元禄忠臣蔵(げんろくちゅうしんぐら)」
 歌舞伎で忠臣蔵ものと言えば、「仮名手本忠臣蔵」がもっとも有名。現実に起こった事件を、そのまま上演すると江戸幕府からのお咎めを受けるため、時代設定を室町時代に置き換えた作品。しかも、大石内蔵助を大星由良助(おおぼしゆらのすけ)、浅野内匠頭を塩谷判官(えんやはんがん)、吉良上野介を高師直(こうのもろのお)などと名前を変えている。
 一方、この演目は、〈新歌舞伎〉という新しい視点での歌舞伎を創作した真山青果が手掛けたもので、今回上演された「仙谷屋敷」は1938年に初演。90年以上も前のものだが、まるで現代のストレイトプレイ(セリフ劇)を観ているような感覚で見入った。役名も大石内蔵助、浅野内匠頭、吉良上野介を高師直と聞きなじんだもので、関係性もすっきりと入ってくる。「勧進帳」の弁慶と富樫が、想いを内に込めて問答するのに対して、内蔵助(片岡仁左衛門)と幕府大目付の仙石伯耆守(中村梅玉)との問答はストレイトで、義士たちの心情が率直に語られていく。なかでも、伯耆守が「徒党を組んで…」と表現すると、内蔵助が「徒党とは仲間を誘いあうことだが、みんなはそれぞれの意思で参加した」といった趣旨で返すところは、なるほど! さらに、吉良邸の火事を避けるため松明から、吉良家の家人に(比較的安全な)蝋燭をつけさせたこと。降りしきる雪のために、薄明りのなかでの戦いになったなど、細やかな光景、説明が語られていく。大詰め。仙谷の屋敷を後にして、幕府の沙汰がくだるまで預けられる藩へ向かう義士たち。最後の内蔵助は、雪道をイメージさせる花道に足を進める序盤は雪に滑らぬよう足を進め、後半は意を決したように颯爽と歩むなど、仁左衛門が緻密でリアルな演技を見せた。

◇「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」
     かさね
「かさね」=累とは、を指す意味もある。人間の情欲を浮き彫りにしていく、恐ろしい物語を歌舞伎などには「累もの」と言われていて、これはその代表作。また、初代三遊亭円朝は「真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)」を創作。こちらは怪談噺として落語をはじめ、映画や舞台でも人気がある。先日、怪談映画の巨匠と言われる中川信夫監督の「怪談累が淵」(1957年)を映画館で観たが、「暗闇からドッキリ!」といったような恐怖ではなく、じわりじわりと不気味になっていった。
  さて、歌舞伎の「色彩間苅豆」、今回は五代目中村時蔵改め初代中村萬壽が「ご当地にて御目見得」で、腰元かさねを演じる。相手の百姓与右衛門実は久保田金五郎は当初、片岡愛之助が演じる予定だったが休演のため、中村萬太郎が代演、親子共演での上演となった。清元が歌われるなか、様式美あふれる舞踊劇。おなじみの「ひゅー、ドロドロ」も効果をあげて、美しくも怖い…。

◇「曽我綉俠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」
  御所五郎蔵
  時代や国を超えて、相反する集団が敵対することで物語が生まれる。「ロミオとジュリエット」しかり、「ウエスト・サイド物語」しかり。この作品は、子分を従えた侠客の御所五郎蔵(中村隼人)、門弟を率いた星影土右衛門(坂東巳之助)が傾城皐月(中村壱太郎)をめぐって一触即発の様子から幕が開く。金を工面するために、土右衛門になびいたふりをする皐月。それに嫉妬する五郎蔵。そこから事態が展開するのだが、皐月の身代わりになる傾城逢州(上村吉太朗)がなんともかわいそうに思えたのは、私だけだろうか。

◇「越後獅子(えちごじし)」
  夜の部の最後は、角兵衛獅子たちのめでたい舞い。中村鴈治郎を中心に、中村萬太郎、中村鷹之資が軽業や浜唄、おけさ節、布を波に見立てた「布さらし」などを披露する。なかでも、見どころは一枚歯の下駄をはいた鴈治郎による妙技。歌舞伎には「高杯 (たかつき)」という下駄を駆使した舞踊があるが、そちらは二枚歯によるもの。北野武監督の「座頭市」のラストシーンなど、近年では、こうした〝下駄タップ〟を登場するが、一枚歯はいっそう難易度が高いことだろう。そうした軽業を、歌舞伎舞踊に昇華しているのはみごと。楽しい気持ちで劇場を後にした。

写真は「元禄忠臣蔵」の一場面、片岡仁左衛門」(左)、中村梅玉(右)
(C)松竹

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