「愛に乱暴」
2024年8月30日
「○活」の類いの言葉には、人をせき立てる魔力が潜んでいる。「就活」「妊活」「終活」他人はもうとっくに取り組んでいる。計画を立てなければ、自分だけ取り残される・・・。計画しても計算どおりに行かないのが人生なのに、人は計画を立て、計算してしまう。本作はその〇活をキーワードにした、ちょっとミステリアスな人間ドラマである。
主人公は桃子。周2回の石鹸作り教室の講師で、事業の拡大を考えている。義理の母・照子が住む母屋から、ほんの数メートルの離れに会社員の夫・真守(まもる)と暮らしているが、照子とはどこか他人行儀。それでも義務的に、いつも照子の燃焼ゴミを捨ててあげる。一応良い嫁で、そつが無い。燃焼ゴミ置き場の掃除を、率先してやるシーンにも、桃子の几帳面な性格が滲み出る。カメラは、桃子の日常を手ぶれカメラで背後から追い、几帳面で、しかし、どこかとことん計算しながら生きている感じの彼女を捉える。
桃子は朝、ゴミ出しに行くのにさえ、薄化粧をほどこし、かわいらしく見える服を着る。隙が無さ過ぎて、それがかえって不安定な彼女の精神状態をにおわせるが、夫の真守はそんな桃子に距離を置いていて、家に帰って来ても会話は殆ど無い。すれ違いっぱなしだ。かねてから桃子は、夫の行動に不信感を抱いていて、出張から帰ってきた夫のスーツケースを開けると、ワイシャツに鼻を近づけ匂いを嗅いだりしている。言葉を使ってコミュニケーションを取らない夫婦が、動物的な感覚を頼りに、相手を監視している様子は異様である。
ほどなく桃子は、真守から別れ話を切り出され、はらわたが煮えくり返るような目に合わされる。桃子が会社帰りの夫を尾行して、夫の不倫相手のマンションを突き止めるシーンは、やはり桃子を背後から撮るショット。ここで作品の怖さが加速するのだが、桃子に扮する江口のりこが醸す、どこかハングリーな雰囲気は、物語に不思議な効果を与えている。夫との関係にしても、義母との関係にしても、何かに付け干渉される嫁、疎外される妻という弱い存在ではなく、互角にやりあっている感のある3人。そつなく振る舞って、計算し、計画を立てても、時に人生はままならない。ままならないからがんばるのだと、桃子が吹っ切れるまでの心の軌跡を観客は追っていく。
原作の吉田修一の小説には、人間の多面性がたびたび描かれる。本作の主要人物も、多面性が浮き彫りになる。桃子はもちろん、義母・照子にしても同様で、決して一面的には描かれない。夫を亡くし、1人気丈に生きる照子は、嫁を外部からのヨソモノとして警戒しながらも、同性として理解をしようとする面が描かれる。長い人生を生きて来た分、経験を積んだ洞察力を持っていることも義母の特徴で、森ガキ監督は、義母役に風吹ジュンをキャスティングし、厚みのある人物を描き出した。
劇中の主要人物には、雨あられとメンタルDVが降り注ぐのだが、作品の着地点に陰湿な感じがしない。小泉孝太郎扮する夫のキャラクターは、ポジション的にも損で精彩を欠くが、照子の「(あなたは)やり直し、きくわよ」は名台詞で、ある種のシスターフッドの物語である。今どき貴重なフィルム撮影。映像に醸し出された独特の質感も味わいたい。
(2024年/日本/105分)
配給 東京テアトル
©2013 吉田修一/ 新潮社 © 2024 「愛に乱暴」製作委員会