「RAGTIME」
2023年9月9日~30日  日生劇場
10月5日~8日   梅田芸術劇場
14日~15日  愛知県芸術劇場大ホール

タイトルになっている「RAGTIME」(ラグタイム)とは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで流行した、いろいろな人種の文化を融合した音楽ジャンル。それが象徴しているように、このミュージカルは白人、ユダヤ人、黒人(アフリカ系アメリカ人)として生まれた人々の壮大な物語。E・L・ドクトロウのよる同名小説はドラマには絶好の題材であり、1981年には監督・ミロシュ・フォアマン監督で映画に、そして、1998年にはブロードウェイで舞台化され、トニー賞ミュージカル部門で13部門ノミネートされ、最優秀脚本賞・最優秀オリジナル楽曲賞など4部門を受賞した。
私はちょうどその年にニューヨークを訪れ、幕が開いてまもない「ライオン・キング」などと共にこの作品も観劇した。すでに高い評価が日本にも伝わってきていて、大手カンパニーが上演を検討、関係者から「観ておいたほうがいい」と勧められたのが大きなきっかけだった。アメリカの歴史を切り取った文芸大作だけに、私にはちょっと難解だったが、登場人物が歌い上げる楽曲が圧倒的だったのが記憶に残っている。しかし、その時には日本で上演されることはなく、土産に買ったプログラムとマグカップを部屋の奥にしまったまま、25年の時が過ぎ、正直を言って、日本ではもう上演されることはないと考えていたのだが…。
それがついに、石丸幹二、井上芳雄、安蘭けい、らが出演、藤田俊太郎の演出製作・東宝によって日本初演された。ニューヨークで難解に感じたストーリーがよくわかった!
翻訳ものを上演する場合、視覚的に「人種の違い」を表現することは容易ではない、劇中に「ミンストレルショー」という文言が出てくるが、かつては白人が顔を黒く塗りアフリカ系アメリカ人を真似ることで笑いをとるショーが一世を風靡した。日本でもそうした傾向があったが、いまではそれは「人種差別の象徴」とされ、そうした手法は使われなくなった。今回の舞台は、そうした「人種の違い」を「衣裳の色の違い」で表している。石丸が演じるユダヤ系は「黒」、安蘭が扮した白人たちは「白」、そして差別に戦う井上らが演じる黒人は「茶系、もしくはカラフルな色調」の洋服を身に着けることで、観客にもよく理解できる工夫がなされている。登場人物の多くは、当時の人々の経験を参考にした架空の人物たち。そんななかで、黒人指導者のブッカー・T・ワシントン、フェミニストのエマ・ゴールドマン、全身を拘束されても「脱出」できる奇術師のフーデニーら実在した人物も登場するのがおもしろい。ただ、このあたり、日本版では、〝さりげなく〟もう少し彼ら彼女らのプロフィールが伝われば、なおさらいいとも感じた。また、余談ながら、片手に紙、片手にハサミを持ったターテが切り絵を作るシーンが出てくるのだが、その動作が日本の寄席芸「切り絵」とソックリだったのは驚いた。そうした特技から「パラパラ絵」を思いつき、さらにアニメーション、映画へと繋がり出世階段を上っていくターテ。一方、ピアノでラグタイムを奏でることで裕福になり、フォードを乗るまでになったコールハウスはそのことを起因に迫害を受け、人生が変わっていく。そして、見るからに裕福な生活をおくるマザーは、自分を理解しようとしない夫に空虚さを感じている。そうした3人の人生がだんだんと深く交錯していく鮮やかな構成。現代にも通じる人種同士の確執、融和というテーマが流れる奥行きのある作品。分厚い文芸小説、歴史ものを読み終えたような醍醐味を感じた。

<ストーリー>20世紀初頭のニューヨーク。ユダヤ人のターテ(石丸幹二)は、娘の未来のためにラトビアからニューヨークにやってきた。黒人のコールハウス・ウォーカー・Jr.(井上芳雄)は才能あふれるピアニストだが、恋人のサラ(遥海)は彼に愛想をつかし、2人の間に生まれた赤ん坊をある白人の家の庭に置き去りにする。赤ん坊を見つけたマザー(安蘭けい)は、夫のファーザー(川口竜也)が長く家を不在にしているなか、家に迎え入れる。マザーの弟であるヤンガーブラザー(東 啓介)は女優のイヴリン・ネズビット(綺咲愛里)に愛の告白をするが拒絶される。コールハウスは、サラの愛を取り戻すため、マザーの家に身を寄せる彼女の元に通い詰め、そこにあったピアノでラグタイムを奏でるのだった。一方、切り絵で生活をしていたターテは、映画監督になり、マザーと出会う。ユダヤ人、黒人、白人。それぞれのルーツをもつ3つの家族が固い絆で結ばれ、差別や偏見に満ちた世界を変えていこうとする姿を描く。

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