「燃えあがる女性記者たち」
公開日 9月16日から全国公開。9月30日から第七芸術劇場、10月6日から京都シネマ、シアタス心斎橋10月13日、元町映画館10月14日から順次公開。
カースト制度最下層のダリッドの女性だけで運営する地方新聞「カバル・ラハリヤ」を描いたインドのドキュメンタリー。サンダンス映画祭ワールドシネマドキュメンタリー部門で2つの賞をもぎ取った本作は、インドの地方紙が紙の新聞から動画のニュースへと切り替わる転換期を切り取ったものでもあり、歴史的な意味を持っている。
主人公の1人は記者のミラ。主に上位カーストの男性が新聞の仕事を独占してきた社会で、カースト最下層の女性が当事者性を持って切り込むのだから、視点は鋭い。
ダリッドの女性への性暴力事件があれば、泣き寝入りをさせない為に、記者が取材に駆けつけるのである。被害者が重い口を開く中で、ダリッドの人々が置かれている状況の悲惨さが浮き彫りになっていく。たとえば、多くの男性が学のある妻を望むが、働くことは許さないのだと言う。家の中で、賢くケア役割を果たすことだけを期待して、彼女達が外の世界で仕事をすることを、助ける気は無いのである。
劇中ではそんなミラの家族も描かれる。不満タラタラの彼女の夫が映し出され、暗澹たる気持ちにさせられるシーンだが、一方でカメラは、ミラの父が彼女を応援していることも映している。リントゥ・トーマス監督とスシュミト・ゴーシュ監督が、男女を敵・味方に分ける考え方で脚本を書いていないことは、この場面が雄弁に物語る。
問題は、インドの女性を取り巻く因習と、それを容認している政治の怠慢無策だと監督達は示唆しているのだろう。ミラの家族の形は、ダリッドの状況を世界中の観客の身に引きつけて見てもらうための鍵である。
ミラは住民の側に軸足を置いて、的確な疑問を候補者にぶつけていく。インド人民党の候補者の大きな体と、記者の小さな体を対比させた構図は美しく、相手が黙り込む瞬間のスリルを、アイロニーを交えて捉えている。権力の監視と、国民の、知る権利への奉仕。民主主義を守る仕事をしながら、彼女達は階級社会とも闘っている。階級差別にNO、男女差別にNO、経済格差差別にNO、大国の中の小さな闘いは、まだ、まだ始まったばかりだ。
(2021/インド/93分)
配給 きろくびと
⒞ Black Ticket Films
(註)この作品については、高橋聡さんの監督インタビューをアップします。あわせてご一読ください、