作品公開日 7月1日から順次公開

京都シネマ  7月7日
第七芸術劇場 7月8日
元町映画館  近日

浪曲師・港家小柳に弟子入りした小そめを通して、現代の浪曲界を描いたドキュメンタリー。師匠に稽古を付けてもらう弟子の小そめが描かれている。素朴な師弟関係だが、時に小そめが師匠のお世話をしているようにも見えてくる。川上アチカ監督は浪曲界を、業界とは言わずにコミュニティ〝共同体〟と呼ぶ。王侯貴族の側でなく、浪曲は〝大衆の側に寄り添う芸能〟だと言う川上アチカ監督。5年間、浪曲関係者と交流し記録し続けた川上監督に伺った。
(川上アチカ監督):「小そめさんに、小柳師匠が倒れられた時に、もしかして小そめさんって、小柳師匠の芸人人生を伸ばすために入門されたんですか?って聞いたら、〝僭越ですけど、それはあります〟とおっしゃいました。自分が入ることで、もう引退しようとしていた師匠達が、弟子を育てようとしてがんばるんです、と。だから、芸人人生も伸びるんですよね。小柳師匠が倒れられた時に、どうするのかなと思って、他の師匠につかれるんですか?と聞いたら、〝それは、師匠がご存命のうちは義理が立たないから、自分は嫌です。師匠を輝かせたい、〟とおっしゃる。生き字引なので学べることはたくさんある。
もっと評価すべきなんじゃないか、と小そめさんは思っておられるんです。玉川祐子師匠のお稽古の時でも、一見、教えを受けているようで、小そめさんがもの凄く支えているところがあるんですよね。それによって師匠達が輝く。それを見ているから浪曲ファンの方々が、〝愛を投げる〟んですよ。映画後半の名披露目のシーンで、他の師匠達やファンの方が立ち上がってくれるのは、やっぱり小そめさんが、祐子師匠にやって来たことを見ているから、それによって自分達もこの人を応援しよう・・・っていうのが、あったのだと思います。「これで勉強しろ」って、ファンの人が浪曲のカセットテープを小そめさんに持って来てくれたりとかね。浪曲は大衆の側に寄り添った芸能である分、大衆と演者との距離がもの凄く近いんです。本当に〝愛の投げ合い〟と言うか、こういう風にコミュニティって、迷惑をかけ合って生きていけばいいんじゃないかな、と思いました。

(Q)浪曲未経験の小そめさんが入門し、成長していく姿を描いたことで、この映画は成功したんだと思いました。劇中には有名な玉川太福さんらも出演していますが、映画化する時に、売れっ子を主人公にしたらどうか、とアドバイスする人は居ませんでしたか?
(川上アチカ監督):「それはありませんでした。もともと私は最初から、港家小柳師匠の芸に惚れ込んでいて、彼女の記録を残したかった。『港家小柳IN-TUNE』という短編ドキュメンタリーも撮ってきましたが、小柳師匠と小そめさんのことを撮りたかったんです。編集前の映像素材の段階では、もっとたくさんの人が出てくる群像ものを想定していましたが、編集作業の段階で、秦岳志さんがシンプルなストーリーラインを抜き出し、そこに私が肉付けしていくという方法で、師匠と弟子の関係性に絞り込んだストーリーが完成しました」。
本作は、芸人の引き際を捉えた作品でもある。本作公開前の5月19日に亡くなった上岡龍太郎さんのニュースは日本中を駆け巡り、芸人の引き際を考えさせる契機にもなった。
港家小柳師匠が、声が出なくなって降板したシーンのあと、楽屋で曲師・沢村豊子が〝浪曲師が引退したら、三味線も引退〟だと引き際に思いをはせる。港家小柳師匠自身は、弟子を一本立ちさせた後が自分の引き際、という考え方を持っておられたようだ。
歳老いた浪曲師と曲師のプロ意識。そこに入門してきた若い小そめさん。とかくギスギスしがちな現代社会に、疑似家族とも言える特殊な関係性が浮き彫りになっていた。コロナ禍で世の中の動きが停止している中、必死で編集に打ち込んだ川上アチカ監督の視線は、伝統芸能を介して支え合う人間の姿を捉えて、更にもっと先を見つめている。

(2023/日本/111分)

配給:東風
⒞ Passo Passo+Atiqa Kawakami

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